欽慈太后
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欽慈太后(きんじたいごう、1054年 - 1089年)は、北宋神宗の妃嬪で徽宗の母。姓は陳氏。
生涯[編集]
開封の庶民であった陳守貴の娘として生まれた。最初、後宮に入って福康公主(仁宗の長女)の侍女となった。神宗と即位後に関係して御侍となり、趙佶(のちの徽宗)を産み、才人に進んだ。1085年に神宗が崩ずると、美人に進封され、園陵の奉仕にあたった。憂憤のうちに病となり、飲食を拒否して「早く先帝のもとに奉仕したい」と言った。元祐4年(1089年)6月28日、薨去した。紹聖3年(1096年)4月、貴儀(嬪)に追封された。徽宗の建中靖国元年(1101年)、皇太后に追尊された。
伝記資料[編集]
- 『宋史』
- 『宋会要輯稿』