明達皇后
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明達皇后(めいたつこうごう、1087年 - 1113年9月10日)は、北宋徽宗の寵妃。皇后を追贈された。姓は劉氏。明節皇后(同じく劉姓の追尊皇后)とは別人。
生涯[編集]
低い身分に生まれ、1110年に侍女として宮中に入り、寵愛を受けた。顕粛皇后と「母娘」の契りを結んだ。寿安郡君、才人、美人、婕妤となり、嬪、妃に進み、貴妃にいたった。
政和3年7月22日(1113年9月10日)、死去した。生前、芭蕉を庭院に植えて、「これが長くなる時、私はもういません」と言った。彼女が病に倒れた際、徽宗は気がつかず、見舞いに行かなかった。死後に徽宗は後悔し、哀泣してやまなかった。
諡は初め、明達懿文貴妃であった。まもなく明達皇后を追贈され、徽宗の父神宗の永裕陵に従葬された。
子女[編集]
伝記資料[編集]
- 『貴妃劉氏追冊皇后御笔手詔』政和三年八月十九日
- 『宋会要輯稿』