弓削女王

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弓削女王(ゆげじょおう/ゆげのおおきみ、生没年不明)は、奈良時代皇族。父は三原王、母は不明。兄弟に和気王小宅女王などがいる。位階正五位上

生涯[編集]

叔父の大炊王(淳仁天皇)の天皇即位により、天平宝字3年(759年)、従五位下から従四位下に叙せられた[1]。その後、藤原仲麻呂の乱による淳仁天皇廃位に巻き込まれたらしく、無位になったが、宝亀5年(774年)になって、再度従五位下を授けられている[2]

ところが、今度は氷上川継の乱に加担し、乗與を厭魅した(天皇を呪詛した)として、天応2年3月、夫の三方王山上船主ともども罪に坐し、詔により死一等を減じられて、夫とともに日向国に配流された。この時の位階は正五位上[3]奈良時代の皇位継承にからむ謀略に翻弄された人生であった。

官歴[編集]

続日本紀』による

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平宝字3年6月16日条。ただし、この弓削女王は後述の弓削女王とは別人ではないか、とする説もある。
  2. ^ 『続日本紀』宝亀5年正月4日条
  3. ^ 『続日本紀』天応2年3月26日条

参考文献[編集]

関連項目[編集]