島根県立津和野高等学校

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島根県立津和野高等学校
地図北緯34度27分40.2秒 東経131度46分9.37秒 / 北緯34.461167度 東経131.7692694度 / 34.461167; 131.7692694座標: 北緯34度27分40.2秒 東経131度46分9.37秒 / 北緯34.461167度 東経131.7692694度 / 34.461167; 131.7692694
国公私立の別 公立学校
設置者 島根県の旗 島根県
学区 全県学区
全国募集あり(30%以内)
併合学校 島根県立津和野第一高等学校
島根県立津和野第二高等学校
設立年月日 1908年明治41年)9月5日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D132250100334 ウィキデータを編集
高校コード 32131B
所在地 699-5605
島根県鹿足郡津和野町後田ハ12-3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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島根県立津和野高等学校の位置(島根県内)
島根県立津和野高等学校
太皷谷稲成神社から見る津和野高等学校と津和野の町並み

島根県立津和野高等学校(しまねけんりつつわのこうとうがっこう, Shimane Prefectural Tsuwano High School)は、島根県鹿足郡津和野町に所在する公立高等学校。略称「津高」(つこう)。

概要[編集]

歴史
1908年明治41年)に開校した「鹿足郡高等女学校」を前身とする。1948年昭和23年)の学制改革の際に新制高等学校「島根県立津和野第二高等学校」(女子校)が発足した翌年、旧制中学校を前身とする「島根県立津和野第一高等学校」(男子校)と統合され、男女共学の「島根県立津和野高等学校」(現校名)となった。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
教育目標
  • 学業に情熱を傾け、真実を追求する態度を養う。
  • 個性を生かし、自主自立の精神を養う。
  • 健康に心掛け、明るく豊かな心と情操を育てる。
  • 勤労に重んじ、博愛奉仕の精神を育てる。
  • 学業尚び、独創的で視野の広い人間を育成する建学の精神を維持する。
校章
地名「津和野」の由来であるつわぶきを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
校歌
作詞は川上清吉、作曲は長岡敏夫による。歌詞は4番まである。歌詞に校名は登場しない。1番に「西周」、「森鷗外」が登場する。

沿革[編集]

前史
高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
  • 1908年(明治41年)- 「養老館」の教育精神を継承し、藩校の跡地に「鹿足郡立高等女学校」が開校。
  • 1922年大正11年)4月1日 - 県立移管の上、「島根県立津和野高等女学校」と改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 本科卒業生を対象に補習科を設置。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 補習科を廃止し、その代わりに専攻科を設置。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
    • 高等女学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
    • 新制中学校を併設し(名称:島根県立津和野高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年生はそのまま高等女学校に在籍し、それぞれ4年生・専攻科生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
    • 高等女学校が廃止され、新制高等学校「島根県立津和野第二高等学校」(女子校)が発足。
      • 高等女学校専攻科修了者を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立津和野第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 「島根県立津和野中学校」(修業年限5年)が開校。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この年の入学生から修業年限が4年に短縮される。
  • 1944年(昭和19年)
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 決戦教育措置要綱[3]が閣議決定され、同年4月から翌年3月末まで授業が停止されることとなる。修業年限短縮の前倒しにより、4・5年合同の卒業式を挙行。
    • 4月1日 - 授業を停止(期間は1年間)。
    • 5月22日 - 戦時教育令が公布され、授業を無期限で停止することが法制化される。
    • 8月15日 - 終戦。
    • 9月 - 授業を再開。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
    • 旧制中学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
    • 新制中学校を併設し(名称:島根県立津和野中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年生はそのまま旧制中学校に在籍し、それぞれ4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
    • 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「島根県立津和野第一高等学校」(男子校)が発足。
      • 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立津和野第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
新制高等学校(男女共学)
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内公立高校の再編により、上記2校が統合され、男女共学の「島根県立津和野高等学校」(現校名)が発足。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 商業科を新設。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 家庭科を新設し、普通科・商業科・家庭科の3科を有する総合制高等学校となる。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 定時制六日市分校を設置。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 定時制六日市分校を島根県立益田産業高等学校七日市分校(現・島根県立吉賀高等学校)に移管・統合。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 家庭科の募集を停止。
  • 1965年(昭和40年)3月31日 - 家庭科を廃止。
  • 1975年(昭和50年)- 新校舎が完成。
  • 1979年(昭和54年)- 新寄宿舎「つわぶき寮」を開寮。
  • 1990年(平成2年)8月 - 第72回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。
  • 1999年(平成11年)- 高校魅力アップ事業「津和野学'99」スタート
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 商業科の募集を停止。
  • 2005年(平成17年)3月31日 - 商業科を廃止。
  • 2008年(平成20年)9月 - 創立100周年記念式典を挙行。

部活動[編集]

運動部
文化部

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 本来は1943年(昭和18年)に入学した生徒が4年を修了し卒業する1947年(昭和22年)3月に施行する予定であった。
  2. ^ 1941年(昭和16年)入学生が4年を修了する1945年(昭和20年)3月に施行されることとなる。
  3. ^ 国民学校初等科を除く学校の昭和20年度1年間の授業停止が決定された。
  4. ^ 2016年に発足した「地域系部活動」。地域の行事や畑仕事などに取り組む。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]