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富士急行5700形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富士急行5700形電車
5700形(写真は元2300形の編成)
主要諸元
編成 2両
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
車両定員 134人(座席48人・立席86人)
最大寸法
(長・幅・高)
17,570×2,800×4,120 (mm)
車体長 17,570 mm
車体幅 2,800 mm
車体高 3,740 mm
台車 FS316(元2200形・2300形はFN203で入線、後にFS316に交換)
主電動機 MB-3012-B
75kW(端子電圧340V)
駆動方式 WN駆動方式
編成出力 75kW×4 = 300kW
制御装置 発電制動併用直並列複式(ABFM-D) ABFM108-15-MDHB
制動装置 電磁直通式電空併用中継弁付自動空気制動 (HSC-D)
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5700形電車(元小田急2220形(左)・元小田急2200形(右))
5700形電車(元小田急2320形)

富士急行5700形電車(ふじきゅうこう5700がたでんしゃ)とは、1982年から1997年まで富士急行に在籍していた電車である。

概要

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1954年から1959年にかけて製造された小田急電鉄2200形2220形2300形2320形を譲受したもので、1982年から1984年にかけて、3次にわたり入線した。1次車は元2200形・2300形、2次車は元2320形、3次車は元2220形である。5700という形式は導入年である昭和57年(1982年)に由来する。

入線に際しての改造は、小田急時代のOM-ATS列車無線の撤去、スノープロウの取り付け、客用ドアへの冬期対策などである。

この車両の導入により、富士急行の吊り掛け駆動車は事業用のモハ3600形を残して、すべて置き換えられた。

1984年に、1次車の台車主電動機が交換され(台車:FS203→FS316、駆動方式:直角カルダンWNドライブ)、性能面での統一が図られた。

しかし非冷房の上老朽化が目立つことから、1000形(元京王5000系)の導入と引き換えに、1993年から1997年にかけて全車廃車になった。最終廃車は5711編成(元2320形)と5717編成(元2220形)であった。このうち5711編成については1996年12月8日にさよなら運転を実施している[1]

なお、末期には屋根上のベンチレーターが全て撤去されていた。

運転台直後の座席には暖房器が入っていなかったため、仕切りにその旨表記がされていた。

車両一覧

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車両番号は小田急時代とは奇数・偶数が入れ替わっている。なお、末尾0・3・4・9は当初から欠番である(末尾4・9が忌み番で、かつ同方向で奇数・偶数を揃えるため)。

富士急行での車両番号 小田急時代の車両番号 入線時期 廃車時期
モハ5701 モハ5702 デハ2302 デハ2301 1982年11月10日 1993年10月10日
5705 5706 2304 2303 1995年10月30日
5707 5708 2212 2211 1996年9月30日
5711 5712 2326 2325 1983年11月15日 1997年3月31日
5715 5716 2328 2327 1994年12月15日
5717 5718 2224 2223 1984年10月5日 1997年3月31日
5721 5722 2226 2225 1995年10月30日
5725 5726 2228 2227 1996年3月31日

表の出典

  • 鉄道ピクトリアル1998年4月臨時増刊号『甲信越・東海地方のローカル私鉄』191頁

5707編成のみ2200形由来の正面窓2枚・非貫通、他は正面窓3枚で貫通扉付きであった。

保存車両

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同時期に営業運転を終了した3100形とともに、車両の引き取り先を新聞で公募した。モハ5707・モハ5708が小田急時代の旧塗装に復元され、笛吹市内で静態保存されている。その他、甲斐市内にモハ5716が保存されていたが、2012年に撤去された。

廃車発生品流用

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営団2000形電車銚子電気鉄道デハ1000形への改造に際し、本形式の台車とパンタグラフの廃車発生品が流用された。

脚注

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  1. ^ 交友社鉄道ファン』1997年3月号 通巻431号 p.123

関連項目

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