宮城県農業高等学校
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宮城県農業高等学校 | |
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北緯38度10分55秒 東経140度51分40秒 / 北緯38.182度 東経140.86103度座標: 北緯38度10分55秒 東経140度51分40秒 / 北緯38.182度 東経140.86103度 | |
過去の名称 |
宮城農学校 県立宮城農学校 宮城県立宮城農学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮城県 |
校訓 | 自啓 |
設立年月日 | 1885年7月30日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 |
農業科 園芸科 生活科 食品化学科 農業機械科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D104212070012 |
高校コード | 04140J |
所在地 | 〒981-1242 |
宮城県名取市高舘吉田字吉合66番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮城県農業高等学校(みやぎけん のうぎょうこうとうがっこう)は、宮城県名取市高舘吉田字吉合にある県立農業高等学校である。
農業科、園芸科、生活科、食品化学科、農業機械科の5つの学科を設ける。尚、クラス割りは1〜3組が農業、園芸科。4組が生活科、5組が食品科学科、6組が農業機械科となっている。設立当初は現在の仙台市太白区長町(現在の仙台南高等学校辺り)にあって、宮城農学校といった。日本最古の農業高校でもある。
学寮として自啓寮があり、通年の入寮者のほか、生徒全員に短期の入寮を義務としている。通称として宮農(みやのう)と呼ばれている。
設置学科
[編集]沿革
[編集]- 1885年(明治18年)7月30日 全国で初となる農業学校の宮城農学校として設立。
- 1901年(明治34年)7月5日 - 県立宮城農学校に名称変更。
- 1904年(明治37年)6月1日 - 宮城県立宮城農学校に名称変更。
- 1919年(大正8年)11月1日 - 宮城農学校に名称変更。
- 1948年(昭和23年)4月1日 宮城県農業高等学校に改称。定時制の中心校、秋保分校、高砂分校、広瀬分校設立。
- 1958年(昭和33年) 岩切分校廃止。
- 1963年(昭和38年) 中心校廃止。
- 1964年(昭和39年) 広瀬分校廃止。
- 1970年(昭和45年) 高砂分校廃止。
- 1974年(昭和49年) 秋保分校が全日制普通科に転換。
- 1977年(昭和52年)3月1日 名取市に移転。
- 1995年(平成7年) 秋保分校が秋保校に改称。
- 2009年(平成21年) 秋保校閉校。
- 2011年(平成23年) 東日本大震災により校舎、敷地が津波により甚大な被害に遭う。
- 2011年(平成23年)9月1日 仮設校舎での授業開始。(現在地と同地区にある、宮城県農業・園芸総合研究所、宮城県農業大学校の敷地内に仮設校舎を建設。)田畑は、農業・園芸総合研究所で使用してた場所をそのまま利用。生存してた家畜(牛・豚)は、間借りしてた学校の畜舎にて世話をしていた。
- 2018年(平成30年)3月 - 現在地に移転[1]。
部活動
[編集]- 運動部
- 野球、バレーボール、バスケットボール、ソフトテニス、卓球、バドミントン、サッカー、陸上競技、柔道、剣道、弓道、ボクシング、ウェイトリフティング、相撲
- 文化部
- 吹奏楽、合唱、美術、演劇、茶道、書道、写真、科学、放送、和太鼓、測量愛好会、軽音楽愛好会、美化クラブ(2.3年生)
著名な卒業生
[編集]- 佐藤亀八郎 - 貴族院議員、旧制宮城農学校卒
- 今野東 - 元参議院議員
- 相澤国之 - プロボクサー
- 小野淳一 - プロボクサー
- 小野寺克男 - 元プロ野球選手(東映フライヤーズ)
- 跡部昌洋 - 元大衡村長
- 菅田順和 - 競輪選手
- 青葉山弘年- 大相撲力士
- 小石川正弘 - 天文家
- 奥野愛央衣 (通称フェフ姉) - キックボクサー
- 岩持静麻 - 岩手県議会議員、全国農業協同組合中央会会長、旧制宮城農学校卒
アクセス
[編集]出典
[編集]- ^ 農業高校の施設配置案まとまる(県教育庁) - 日刊建設新聞
関連項目
[編集]- 宮城県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (宮城県)
- 日本の農業に関する学科設置高等学校一覧
- 宮城県農業短期大学 - 農業高校の専攻科を母体としていることから。
- 坂本龍一 - 東日本大震災で被災した本校のピアノを、「津波ピアノ」として再生・使用している。