安保庸三
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安保 庸三(あぼ ようぞう、1865年 3月13日(元治2年2月16日[1][2])– 1942年(昭和17年)5月16日[1][2][3][4])は、明治から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、三重県会議長。旧姓・四方[1][2]。
経歴
[編集]伊勢国[1][2]飯高郡、のちの三重県飯南郡松阪町[4][5](現松阪市)で、四方梅次郎の長男として生まれ[6]、1884年(明治17年)安保ひさ の養子となり家督を相続した[6]。明治法律学校で学んだ[6]。
才賀藤吉の指導を受けて松阪電気を設立し、のち社長に就任[1][2]。その他、松阪鉄道社長、勢和自動車社長、南勢新聞社長、松阪共産取締役、三重出版取締役、三重県農工銀行監査役、松阪劇場監査役などを務めた[1][2][3][4][5][6]。
政界では、松阪町会議員、飯南郡会議員、三重県会議員、同議長などを務めた[1][2][3][4][5][6]。1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙に三重県第7区から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員に1期在任した[1][2][3]。
脚註
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。