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農工銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

農工銀行(のうこうぎんこう)とは、1896年(明治29年)制定の農工銀行法に基づき、各府県に設立された特殊銀行の一つである。1921年(大正10年)に日本勧業銀行及農工銀行ノ合併ニ関スル法律(大正10年法律第80号)が制定され、その後日本勧業銀行に合併された。

概要

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農工業の改良のための長期融資を目的に日本勧業銀行(勧銀)を設立するために1896年明治29年)に日本勧業銀行法が成立する際に、一緒に成立した農工銀行法に基づいて、設立された。農工銀行は勧銀への取り次ぎまたは勧銀と同等の業務を行い、事実上の勧銀の子会社的な存在であった。1900年(明治33年)8月に徳島県に阿波農工銀行が設立されたことで、北海道を除く全府県に一行ずつ設立されたことになった。

農工銀行の貸付は長期年賦で元利返済ができるなど、農工業者に有利な面があった。一方で担保となる不動産価格の査定がきびしく、貸付額も過少であり、申し込みから貸出までに時間がかかりすぎるなどの問題点も存在した。

1911年(明治44年)の農工銀行法改正により、これまで農工業資金の貸付に限定されていたのが、市街地を含む不動産を担保にすることでどこへでも貸し付けられるようになった。

1921年大正10年)に日本勧業銀行及農工銀行ノ合併ニ関スル法律(大正10年法律第80号)が制定され、勧銀と農工銀行の合併が促された。佐賀県農工銀行が勧銀に吸収合併されたのをきっかけに、国内のすべての農工銀行は、1944年昭和19年)までに勧銀に吸収合併されるようになった(農工銀行の一部には、吸収合併される前に経営破綻したものもあり、結果的に受け皿として勧銀支店を新規設置の上で継承したケースもある)。

現在のみずほ銀行が後身である。みずほ銀行は北海道を除く全府県に設立されていた農工銀行が前身の1つであることから、全都道府県に店舗が存在する(ただし、合併の過程で旧第一店や旧富士店への併合等もあり、また一部店舗は他行へ売却している)。

存在した農工銀行

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明治時代の「山梨農工銀行」[1]
都道府県行名勧銀への
吸収年
備考
北海道該当なし道内に農工銀行は設立されず、かわりに北海道拓殖銀行が存在した。
青森県青森県農工銀行1922年
岩手県岩手県農工銀行1930年
宮城県宮城県農工銀行1937年
秋田県秋田農工銀行1922年
山形県両羽農工銀行1922年
福島県福島県農工銀行1944年
茨城県茨城農工銀行1944年
栃木県栃木県農工銀行1930年
群馬県群馬県農工銀行1930年
埼玉県埼玉農工銀行1930年
千葉県千葉県農工銀行1927年
東京府東京府農工銀行1936年
神奈川県神奈川県農工銀行1944年
山梨県山梨農工銀行1921年
長野県長野農工銀行1930年
新潟県新潟県農工銀行1922年
静岡県静岡農工銀行1922年
岐阜県濃飛農工銀行1937年
愛知県愛知県農工銀行1944年1925年に尾三農工銀行から改名
三重県三重県農工銀行1937年1897年12月設立免許、1898年3月開業
富山県富山県農工銀行1922年
石川県石川県農工銀行1922年
福井県福井県農工銀行1922年
滋賀県滋賀県農工銀行1938年
京都府京都府農工銀行1922年
大阪府大阪農工銀行1937年
兵庫県兵庫県農工銀行1937年
奈良県奈良農工銀行1930年
和歌山県和歌山県農工銀行1923年
鳥取県鳥取県農工銀行1922年1897 年に県によって設立され,本店は鳥取市に置かれた[2]
島根県島根県農工銀行1922年
岡山県岡山県農工銀行1944年
広島県広島県農工銀行1937年
山口県防長農工銀行1921年
徳島県阿波農工銀行1937年
香川県讃岐農工銀行1922年
愛媛県愛媛県農工銀行1937年
高知県土佐農工銀行1922年
福岡県福岡県農工銀行1921年
佐賀県佐賀県農工銀行1921年
長崎県長崎県農工銀行1929年
熊本県肥後農工銀行1927年明治31年開業
大分県大分県農工銀行1937年
宮崎県宮崎農工銀行1934年
鹿児島県鹿児島県農工銀行1937年
沖縄県沖縄県農工銀行1922年現在のみずほ銀行那覇支店は、旧第一勧銀が1984年に新設扱いで出店した店舗である。

註釈

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  1. 『写真集 明治大正昭和 甲府』ふるさとの想い出 10、飯田文弥・坂本徳一著、図書刊行会、昭和53年、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧
  2. 鳥取県を中心とした産業発展の歴史エネルギア地域経済レポート No.488 2015.3