吉川経忠
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和3年2月24日(1766年4月3日) |
死没 | 享和3年5月30日(1803年7月18日) |
別名 | 和三郎、倫継、経通、金璽 |
戒名 | 紹徳院殿孝運祖沢大居士 |
墓所 | 山口県岩国市横山の洞泉寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 毛利斉房 |
藩 | 周防岩国領主 |
氏族 | 吉川氏 |
父母 | 吉川経倫、一柳末栄娘多芽 |
兄弟 | 経忠、大島義言 |
妻 | 織田信憑次女悌 |
子 | 経賢、経礼、経章、礼成 |
吉川 経忠(きっかわ つねただ)は、江戸時代中期から後期にかけての周防国岩国領8代領主。
生涯
[編集]吉川経倫の長男として生まれる。寛政4年(1792年)、父の隠居により家督を相続する。岩国の財政は経忠の襲封以前から悪化していた。経忠は文武教育を奨励し、敬神崇祖の範を示すことによって土風の刷新を図った。その上で財政の健全化を図り、家老の宮庄親徳と香川景晃らを中心に財政改革を推進した。しかし享和3年(1803年)に38歳で、麻疹の合併症のため死去した。