五條順教

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五條 順教(ごじょう じゅんきょう、大正15年(1926年11月9日[1] - 平成21年(2009年5月16日)は、日本金峯山修験本宗僧侶、2代管長金峯山寺28代管領

略歴[編集]

1926年(大正15年)、東南院住職五條覚澄の長男として吉野に生まれる。旧制五條中学校を経て旧制京都第三中学校に転校。出征して復員後に叡山学院に入学。箱崎文応から四度加行を受ける。叡山学院を卒業後に大正大学文学部史学科に編入、書道部部長になる。

1947年(昭和22年)、大峯修験宗として天台宗から独立する。1948年(昭和23年)から大峯奥駈け修行を22年間続ける。

1952年(昭和27年)、大正大学を卒業して吉野に戻り、東南院の副住職に就任。1954年(昭和29年)に住職となる。福田赳夫の助言で開発を止め、後の世界遺産登録に繋げる。

1971年(昭和46年):2代目管長に就任。1974年(昭和49年)、堂入りを吉野で初めて行い、四無行と名付ける。1975年(昭和50年)に十万枚大護摩供を、1976年(昭和51年)に八千枚大護摩供を行う。

2009年(平成21年)5月16日、心不全にて遷化[2]。四弟の五條覚尭が管長を継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.235
  2. ^ 【朝日】2009年5月16日付「奈良・金峯山寺管領の五條順教さん死去」

弟子[編集]

兄弟[編集]

参考文献[編集]

  • 『〈修験〉のこころ』(塩沼亮潤との共著、春秋社、2008年)
先代
五條覚澄
金峯山修験本宗管長
2代:1971年 - 2009年
次代
五條覚尭