中澤系

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中澤 系(なかざわ けい、1970年9月22日 - 2009年4月24日)は、日本歌人。短歌結社未来」で活動した。代表歌に「3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」がある。本名は中澤圭佐(けいすけ)。

略歴[編集]

1970年、神奈川県横浜市に生まれ、1977年から茅ヶ崎市で育つ[1]神奈川県立茅ケ崎北陵高等学校[2]、1989年早稲田大学第一文学部に進学し、哲学社会学専修にて那須壽のゼミに所属[3]。1993年に卒業し、日本育英会に就職する[3]

1997年1月、未来短歌会に入会し岡井隆に師事する[4]1998年、連作「Uta0001. txt」20首にて1997年度の未来賞を受賞(名義は中澤圭佐)。2003年より進行性の難病である副腎白質ジストロフィーに冒され[5]、自分の意志を表示することすら困難な状態に陥る。 2004年さいかち真を中心とする未来短歌会有志の尽力によって歌集『uta 0001.txt』(雁書館)が出版される。2009年4月24日の夜、逝去。享年38[6]

ディストピア的なシステム社会を描いた作風で、歌集巻頭歌は穂村弘の著書『短歌の友人』『そこにいますか:日常の短歌 (めくってびっくり短歌絵本) 』などで引用される。2012年5月、『uta 0001.txt』(版元雁書館は2008年7月末に廃業)の復刊を目指して「未来」の歌人本多真弓や妹で書家中澤瓈光を中心に「中澤系プロジェクト」が立ち上げられた[7]。 尽力の結果、2015年4月双風舎より新刻版が出版された。同年5月4日開催の第20回文学フリマ東京で100冊が完売となるなど、反響は大きかった[8]。 その後双風舎も事業を停止したため再び入手困難となったが、担当編集者である谷川茂皓星社に移籍し、3度目の刊行を果たしている[9]

上掲の歌の他、「ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ」も広く知られる。

著書[編集]

単著[編集]

アンソロジー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中澤瓈光「兄・中澤系の思い出」『歌集 uta0001.txt 新刻版』p. 224
  2. ^ 「青春スクロール」県立茅ケ崎北陵(4) - 神奈川 - 地域”. 朝日新聞デジタル (2019年4月18日). 2019年7月30日閲覧。
  3. ^ a b 中澤瓈光「兄・中澤系の思い出」『歌集 uta0001.txt 新刻版』p. 226
  4. ^ 中澤瓈光「兄・中澤系の思い出」『歌集 uta0001.txt 新刻版』pp. 227-228
  5. ^ 中澤系プロジェクト - Facebook
  6. ^ 日常への痛烈な違和感放つ 復刊された歌人・中澤系さんの歌集が話題に”. 産経ニュース (2023年6月18日). 2023年6月19日閲覧。
  7. ^ "生沼義朗「中澤系:明日また空豆の殻を剥くだろう同じ力をかけた右手で」."日々のクオリア:一首鑑賞(砂子屋書房HP内)2019年4月23日付. 2024年4月17日閲覧.
  8. ^ "本多真弓「第7回:読者の手に届くまで」(連載:中澤系プロジェクト)."短歌ポータルサイト「tankaful.net」2015年6月30日付. 2024年4月17日閲覧。
  9. ^ "お世話になりました!."「双風亭日乗」2015年9月30日付.(2024年4月17日閲覧。)

外部リンク[編集]