コンテンツにスキップ

中尾芳広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中尾"KISS"芳広
基本情報
本名 中尾 芳広
通称 セクシャルビーストNO.1
五輪を捨てた男
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-06-25) 1972年6月25日(52歳)
出身地 東京都
所属 フリーランス
→TEAM TACKLER
身長 180cm
体重 98kg
階級 ヘビー級
バックボーン レスリング
テーマ曲 Shangri-La
電気グルーヴ
テンプレートを表示

中尾“KISS”芳広(なかお“キス”よしひろ、1972年6月25日 - )は、日本男性レスリング選手、総合格闘家東京都出身。TEAM TACKLER所属。

来歴

[編集]

日本工業大学駒場高等学校東洋大学卒業後、体育学校に在籍し、レスリングフリースタイルの選手として活躍。

国内では数々の優勝実績を残し、アテネオリンピックのレスリング代表の有力候補であったが、2003年末にオリンピック出場を突如断念し、総合格闘家に転向した。

総合格闘技デビューとなった2003年12月31日のK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!では、バルセロナオリンピック柔道95kg級金メダリストであるダビド・ハハレイシビリと対戦し、パウンドによりタップアウト勝ち。

2004年5月22日、K-1 ROMANEXドン・フライと対戦するも、偶発的なバッティングによるフライの出血で無効試合となった。その後大晦日のK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で再戦し、判定勝ちを収めた。

2005年6月14日、K-1ルール初挑戦。K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMAで開催されたJAPAN GPの1回戦でボブ・サップとK-1ルールで対戦し、判定負け。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!ヒース・ヒーリングと対戦。試合前のリング中央での睨み合いの最中に、中尾はヒーリングの唇にキスをしてしまう。これによって激怒したヒーリングから不意の右フックを顎に受け失神。試合続行不可能となり、担架で控室へ運ばれた。裁定は一旦はヒーリングの反則負けと判定されたが、その後K-1イベントプロデューサー谷川貞治が「過剰な挑発をした中尾選手にも非がある」とし、無効試合に改められた。

中尾は過度のダメージで病院で年越しを迎えたが、病院のベッドで中尾が見た初夢はまたもや「ヒーリングにキスをした」夢であった。当時はヒーリングへの復讐に燃えており「KO勝ちした後で、ダウンしているヒーリングにキスをすることが目標だ。」と週刊誌の取材[信頼性要検証]に答えたが、2006年3月に再戦のオファーがあるも断った。

2006年6月、PRIDEへの電撃参戦を表明。このころから中尾は「キス魔」「バイセクシュアル」のキャラクターを前面に出すようになり、移籍直後の会見でも対戦相手についてニヤリと笑いながら「カッコいい男がいい」とコメント。DSE榊原信行社長もこれを受けて「いい男を用意するように言われた。またキスがしたくなる様なイケメン選手を用意したい」と返し、日本人選手である中村和裕を対戦相手に指名した。また中尾は前述の「キス騒動」を受けて、リングネームを中尾"KISS"芳広と改名した。

なお、中尾の同性愛的言動はキャラクターであり、実際にゲイというわけではない。

2006年7月1日、PRIDEデビューとなるPRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDのワンマッチでイ・ウンスと対戦し、膝蹴りで左目下を負傷させTKO勝ち。

2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦のワンマッチで中村和裕と対戦。

2007年4月8日、PRIDE.34エジソン・ドラゴと対戦。1R終盤、袈裟固めからの絞めで一本勝ち。

2008年5月18日、戦極初参戦となった戦極 〜第二陣〜BIG・ジム・ヨークと対戦。2R右フックでダウンを奪いパウンドで追撃しTKO勝ち。

2009年1月4日、戦極の乱2009アントニオ・シウバと対戦し、左膝負傷によりTKO負け。

2010年3月7日、SRC12戦闘竜と対戦し、パウンドによるTKO勝ち。

2010年12月30日、戦極 Soul of Fightデイブ・ハーマンと対戦し、0-3の判定負けを喫した[1]

2012年6月25日、自身のブログで引退を表明した。

2006年12月1日、株式会社ON THE RINGを設立。

2013年4月5日、全株式会社を設立。

2020年4月1日、全Digital株式会社設立をそれぞれ設立している。

2022年9月16日、全日本華僑華人社団連合会主催の、日中国交正常化50周年式典にて、日中友好民間大使に選ばれた[2]

        

人物

[編集]
  • 以前はエドワード・エルガーの「威風堂々」を入場曲に使用していた。SRC12から自身のリングネームである「キス」という歌詞が多用されている現在のものに変更している。

戦績

[編集]

総合格闘技

[編集]
総合格闘技 戦績
14 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
9 3 3 3 0 0 2
3 1 0 2 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× デイブ・ハーマン 5分3R終了 判定0-3 戦極 Soul of Fight 2010年12月30日
戦闘竜 2R 3:27 TKO(パウンド) SRC12 2010年3月7日
チェ・ムベ 5分3R終了 判定3-0 戦極 〜第九陣〜 2009年8月2日
× アントニオ・シウバ 1R 1:42 TKO(左膝の負傷) 戦極の乱2009 2009年1月4日
BIG・ジム・ヨーク 2R 0:46 TKO(右フック→パウンド) 戦極 〜第二陣〜 2008年5月18日
エジソン・ドラゴ 1R 9:15 袈裟固め PRIDE.34 2007年4月8日
× 中村和裕 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 2006年9月10日
イ・ウンス 1R 4:16 TKO(ドクターストップ) PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND 2006年7月1日
ヒース・ヒーリング 無効試合(両者の反則) K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 2005年12月31日
ファイ・ファラモエ 1R 2:35 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント準決勝 2005年9月7日
ドン・フライ 5分3R終了 判定3-0 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日
ウェズリー"キャベージ"コレイラ 5分3R終了 判定2-1 Rumble on the Rock 6 2004年11月20日
ドン・フライ 1R 1:21 無効試合(バッティング) ROMANEX 格闘技世界一決定戦 2004年5月22日
ダビド・ハハレイシビリ 2R 1:13 ギブアップ(パウンド) K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! 2003年12月31日

キックボクシング

[編集]
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ボブ・サップ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA
【JAPAN GP 1回戦】
2005年6月14日

獲得タイトル

[編集]
  • ひろしま国民体育大会 フリースタイル82kg級 優勝(1996年)
  • 天皇杯全日本選手権 フリースタイル97kg級 優勝(2001年)
  • 明治乳業カップ全日本選抜選手権 フリースタイル97kg級 優勝(2002年)
  • 天皇杯全日本選手権 フリースタイル 97kg級 優勝(2002年)
  • 明治乳業カップ全日本選抜選手権 フリースタイル96kg級 優勝(2003年)

脚注

[編集]
  1. ^ 【SRC戦極】12・30日沖発がフェザー級王座獲得!交流戦はSRCが勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月30日
  2. ^ mcoopers. “日中友好民間大使の表彰式の授与につきまして”. 全 株式会社. 2024年9月17日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]