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ヴィンセント・ユーマンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィンセント・ユーマンス
Vincent Youmans
出生名 Vincent Millie Youmans
生誕 (1898-09-27) 1898年9月27日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
死没 (1946-04-05) 1946年4月5日(47歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コロラド州デンバー
職業 ブロードウェイ作曲家、ブロードウェイ・プロデューサー、ソング・パブリッシャー

ヴィンセント・ユーマンスまたはユーマンズVincent Youmans1898年9月27日 - 1946年4月5日)は、アメリカ合衆国ポピュラー音楽作曲家ブロードウェイミュージカルプロデューサーとしても活動した。

略歴

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ニューヨーク州に生まれ、セントラルパーク西部のメイフラワー・ホテルの跡地に育つ。父親が裕福な制帽工場の経営主だったため、ニューヨーク州ラーチモントの上流階級に加わった[1]ママロネックの私立校トリニティー・スクールやライのヘスコート・ホールに在籍した後、当初はエンジニアを目指しイェール大学に短期間通う。中退してウォール街の証券会社に就職するが、第一次世界大戦に徴兵され出征。海軍の慰問団をプロデュースした際に劇場に関心を抱くようになり、戦後復員してからティン・パン・アレーのT. B. ハームズ社でソング・プラガーとして働き、次いで著名な作曲家ヴィクター・ハーバートオペレッタでリハーサル・ピアニストを務めた[2]

ユーマンスはブロードウェイの最も優れた作詞家……例えばハーバート・ストサートオットー・ハーバックオスカー・ハマースタイン2世アーヴィング・シーザーアン・コールドウェルレオ・ロビンクリフォード・グレイビリー・ローズエドワード・エリスクエドワード・ヘイマンハロルド・アダムソンマック・ゴードンバディ・デ・シルヴァガス・カーンらと共作を行なった[2]アイラ・ガーシュウィンとの共作『トゥー・リトル・ガールズ・イン・ブルー(Two Little Girls in Blue)』(1921年)の楽曲は広く評判をとった。次に手懸けたのが、ハーバックやハマースタイン2世との共作によるショウ『ワイルドフラワー(Wildflower)』(1923年)である。しかし最もヒットしたのは、シーザーと共作した『ノー・ノー・ナネット』(1925年)であった。

『ノー・ノー・ナネット』は1920年代の欧米において最大の成功作となり、挿入歌の「二人でお茶を」と「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ハッピー(I Want to Be Happy)」はスタンダード・ナンバーとして認められた。ユーマンスのもう一つの代表作は、挿入歌「ハレルヤ」で知られる『ヒット・ザ・デック(Hit the Deck)』(1927年)である。

1927年以降は自作のショウのプロデューサーも兼ねた。同年上演されたハマースタイン2世とジェローム・カーンの『ショウボート』に影響を受けたユーマンスは、シリアスなミュージカル・ドラマを手がけるようになる[3]。公演自体は失敗に終わるも、多くの歌がヒットを続けた。ブロードウェイでの最後の仕事は、1932年のミュージカル『テイク・ア・チャンス(Take a Chance)』への追加の楽曲だった[4]

1933年、ユーマンスはハリウッドに移り映画『空中レヴュー時代』の音楽を担当した。これはフレッド・アステアジンジャー・ロジャースダンスペアを組んだ最初の作品で、2人が踊ったナンバー「キャリオカ」は大評判になった。他の挿入歌「月下の蘭(Orchids in the Moonlight)」はコンチネンタル・タンゴの名曲として知られている。

映画のヒットでキャリアの復活が見えた矢先、翌年ユーマンスは結核を患い、わずか13年間の活動をもって引退を余儀なくされる。ブロードウェイへの唯一の復帰作は、不幸な運命をたどった大興行の『ヴィンセント・ユーマンス・バレエ・レビュー(Vincent Youmans Ballet Revue)』(1943年)である。このショウはラテン音楽と、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』などのクラシック音楽とを融合させた野心作で、レオニード・マシーンが振り付けたが、約400万ドルの赤字に終わった[5]

1946年に結核により病歿。未出版の楽譜を大量に遺したまま亡くなった。1970年、ソングライターの殿堂入りを果たす。

作風

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ユーマンスの最初期の歌は、旋律素材の簡潔さが際立っている。2音から4音でできたフレーズが絶え間なく繰り返され、和声やリズムを絶妙に変化させつつ変奏される。しかし後年は、より長い楽句や狂詩曲風の旋律線を用いるようになった[4]。正式に出版された歌は100曲に満たないが、うち18曲がASCAPによってスタンダード・ナンバーと認定されており[4]、これは非常に高い割合である。

ブロードウェイ・ミュージカル(音楽担当)

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  • Two Little Girls in Blue (1921年)
  • Wildflower (1923年)
  • Mary Jane McKane (1923年)
  • Lollipop (1924年)
  • ノー・ノー・ナネット』 - No, No, Nanette (1925年、レヴューは1971年)
  • Oh, Please! (1926年)
  • Hit the Deck (1927年)
  • Rainbow (1928年)
  • A Night in Venice (1929年)
  • Great Day! (1929年)
  • Smiles (1930年)
  • Through the Years (1932年)
  • Take a Chance (1932年) ※追加歌曲のみ
  • The Vincent Youmans Ballet Revue (1943年)

フィルモグラフィ(音楽担当)

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脚注

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  1. ^ Suskin, Steven. "Vincent Youmans". Show Tunes: The Songs, Shows, and Careers of Broadway's Major Composers. Oxford University Press: 2000.
  2. ^ a b Vincent Youmans | Songwriters Hall of Fame”. Songwriters Hall of Fame. 2024年2月3日閲覧。
  3. ^ ON THE RECORD: Through the Years with Youmans and Wodehouse”. PLAYBILL. 2023−9−14閲覧。
  4. ^ a b c Gerald Bordman: 'Vincent Youmans', Grove Music Online ed. L. Macy (Accessed [12 July 2008]), <http://www.grovemusic.com>
  5. ^ Vincent Youmans. (2001). In The Faber Companion to 20th Century Popular Music. Retrieved April 13, 2008, from http://www.credoreference.com/entry/4413590
  6. ^ "Vincent Youmans: Film scores", Songwriters' Hall of Fame, accessed January 12, 2013

参考文献

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外部リンク

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音源

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