ヴァツサ国
ヴァツサ国[注 1](サンスクリット語 वत्स Vatsa)あるいはヴァンサ国(パーリ語 वंस Vaṃsa)は、古代インドの国名。初期仏教の聖典『アングッタラ・ニカーヤ』(『増支部』)の中で、北道十六大国のひとつに数えられる。首都はカウシャーンビー(कौशाम्बी Kauśāmbī)。
位置
[編集]首都のカウシャーンビーは、現在のウッタル・プラデーシュ州コーサムにあたると考えられ、アラーハーバードの南西約55kmということになる。
歴史
[編集]建国については、数種類の伝承が存在する。
- プラーナ文献は、ヴァツサ国の国名を、カーシー国のヴァツサ王に由来すると伝承している[2]。
- 他のプラーナ文献は、ガンジス川の氾濫によってハスティナープラから南に移住してきたバラタ族のジャナメージャヤ王の玄孫、ニチャクシュ王が、首都カウシャーンビーを建設したと伝承している[3]。バーサが著した戯曲も、この説に立っている。
- 『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』は、首都カウシャーンビーが、チェーディ国のクシャ王子あるいはクシャーンバ王子により建設されたと伝える。
シャターニーカ2世
[編集]ヴァツサ国を最初に支配したバラタ族の王は、シャターニーカ2世(शतानीक)、またの名をパランタパ、であると伝えられる。プラーナ文献によれば、彼の父の名はヴァスダーナ(वसुदान)であるが、バーサによると、彼の父の名はサハスラーニーカ(सहस्रानीक)である。
シャターニーカ2世は、ヴィデーハ国の王女と結婚し、その間にウダヤナが生まれた。また、リッチャヴィ族の族長チェータカ(चेटक)の娘ムリガヴァティー(मृगवती)とも結婚した。
シャターニーカ2世は、ダディヴァーハナ王の統治するアンガ国の首都チャンパーを攻撃したと伝えられる。
ウダヤナ王
[編集]シャターニーカ2世の息子ウダヤナ(उदयन)は、父の跡目を継ぎ、ヴァツサ国王となった。妃ヴァーサヴァダッター(वासवदत्ता)との間に、ボーディ(बोधि)という息子がいたと考えられている。ブッダや、アヴァンティ国のプラディヨータ王と同時代の人物であったと考えられている。ブッダは、ウダヤナ王の治世に何度か首都カウシャーンビーを訪れ、その教えを広めていて、ウダヤナ王も仏教の在家信者となったと伝えられている。
ウダヤナ王は、様々な文学に登場する。
- 『カーサリットサーガラ』では、ウダヤナ王の遠征について、長い物語が語られている。
- 『プリヤダルシカー』は、ウダヤナ王のカリンガ国遠征の勝利と、ウダヤナ王の妃アーラニヤカー(आरण्यका)の父であるアンガ国のドリダヴァルマン王の復位について、伝えている。
- 仏典『ダンマパダ』の注釈には、ウダヤナ王と、アヴァンティ国王プラディヨータの娘ヴァーサヴァダッター(वासवदत्ता)あるいはヴァースラダッター(वासुलदत्ता)との結婚について述べられている。また、他に、クル国のバラモンの娘マーガンディヤー(मागन्दिया)と、財務大臣ゴーサカ(घोसक)の養女サーマーヴァティー(सामावती)という妃がいた、とも述べられている。
- 『ミリンダ王の問い』には、農家の娘ゴーパーラマーター(गोपालमाता)がウダヤナ王の妻となったことが語られている。
- バーサの戯曲『スヴァプナ・ヴァーサヴァダッター』や『プラティジニャー・ヤンガンダラーヤナ』では、主人公である。『スヴァプナ・ヴァーサヴァダッター』では、ヴァーサヴァダッター妃の他に、マガダ国王ダルシャカ(दर्शक)の妹であるパドマーヴァティー(पद्मावती)という妃があったことが描かれている。
- 『ラトナーヴァリー』(『宝行王正論』)には、妃であるヴァーサヴァダッターの召使であるサーガリカー(सागरिका)と、ウダヤナ王との恋愛が語られている。
アヴァンティ国による併合
[編集]プラーナ文献によれば、ウダヤナ王の後、ヴァヒナーラ(वहिनार)、ダンダパーニ(दण्डपाणि)、ニラミトラ(निरमित्र)、クシェーマカ(क्षेमक)という王が続いたが、その後ヴァツサ国は、アヴァンティ国に併合された。アヴァンティ国のプラディヨータ王(प्रद्योत)の曾孫にあたるマニプラバ王子(मणिप्रभ)が、カウシャーンビーを統治したことが伝承されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 山崎元一 著「インダス文明からガンジス文明へ」、辛島昇 編『新版世界各国史7 南アジア史』山川出版社、2004年、48頁。ISBN 4634413701。
- ^ 例えば『ハリ・ヴァンシャ』29章
- ^ 例えば『マツヤ・プラーナ』(ここではヌリチャクシュとする)。王の名は文献による揺れが大きい。