フリーステーション1.2.0
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「フリーステーション1.2.0」は、静岡放送(SBSラジオ)で1981年10月から1984年4月[1]まで放送されていた若者向けラジオ番組である。通称「フリステ」。
1986年10月から「みらくるナイト・フリーステーション1.2.0」として再開され、1987年10月10日まで放送されていた。
番組内容やスタッフがほぼ同じであるため、この項で併記する。
概略
[編集]- 番組タイトルの由来は、前番組から番組枠が120分に広がったことによる。
- 番組の放送時間は、上記の通り開始当初は120分枠であったが、野球のナイター編成や22時台のミニ番組などとの兼ね合いから、一旦時間枠が60分に短縮されるも再び時間枠が拡大され、末期は1時間20分となる。
- 当時TBSラジオで放送されていた「フリーステーション」とは無関係である。
- 1984年4月6日(國本良博担当)をもって一旦終了[2]。
- しかしこの番組にかかわったアナウンサーやスタッフ、そして番組聴取者からも同種番組の再開機運が高まり[3]、2年後の1986年4月、土曜夜に別番組として「とびっきりナイト サタデー電リク村・び〜ん」(DJをSBSアナウンサー伊藤圭介と野田靖博の両名が基本隔週交替で担当)がスタート。
- その後、番組内容及びタイトルを変更。約2年半のブランクを置いて同年10月から「みらくるナイト・フリーステーション1.2.0」と改題し2時間番組として復活(DJは終了時まで伊藤が担当)。1987年10月10日、静岡放送本社Bスタヂオに常連リスナーなど30人を招いての生放送でレギュラー放送は終了した。なお、最終回当日の日中に、浜北市(現・浜松市浜名区)岩水寺の大型スーパーで、約200人のリスナーが集まった中公開収録が行われ[4]、当番組のスピンオフ企画番組「フリステinスーパークエスト」として1987年10月17日の18時30分から放送された。
- 本番組終了後、アナウンサーが出演するSBS自社制作番組枠は、帯番組時代のパーソナリティの一人だった國本の『クンちゃんのなんでもナイト』(土曜22:00 - 22:30、1988年4月からは22:00 - 23:00、1988年10月からは21:30 - 23:00[5])、当時入社1年目だった鈴木如巳と木曽美雪の『ニョミとミユキのペパーミントタイム』(土曜20:00 - 21:00)に受け継がれた。
- 土曜夜の若者向け(自社制作)番組は「みらくるナイト - 」の後番組となる「クンちゃんのなんでもナイト」終了後、一旦途絶えた後に復活した。2020年現在の同枠は、元SBSアナウンサーの鬼頭里枝が出演する『テキトーナイト!!』(土曜20:00 - 22:00)が放送されている。
放送期間・放送時間
[編集]放送期間
[編集]- 1981年10月 - 1984年4月6日(月 - 金・帯番組)1985年4月-1986年3月(月-金の帯番組)
- 1986年10月 - 1987年10月10日(土曜)
放送時間
[編集]- 月 - 金 帯番組時代
- (初期)20:00 - 22:00
- (中期)21:00 - 22:00
- (後期)21:00 - 22:20
- 土曜日時代
- 21:00 - 23:00
- ナイターシーズンはナイター中継終了後に番組が始まる(「クッション番組」「フィラー番組」としての側面も持つ)ため、放送時間に変動があった。10分足らずで終了した日もあれば、番組がまるごと休止となった日もあった。
主なコーナー
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 必殺遊び人(木曜/土曜、伊藤担当)
- 音の遊びをリスナーと一緒にやっていたコーナー。
- みらくる探偵団(土曜、伊藤担当)
- 青春駆け込み寺
- ギャロディー大作戦
- Jump Up 青春(土曜)(本番組終了後は引き続き単独番組として放送)
- フリーステーション・メッセージ(土曜)
- 文化祭などの学校行事の告知から、好きな人へのメッセージまで、番組を通じて伝えたいことを募集していた。
- ザ・ベスト3
- ジャンルを問わず募集していたリクエストコーナー。
- ハッピートーク(水曜、山形担当)
- オクラ百人一首(金曜、國本担当)
- 海賊放送局(平日帯時代の木曜日→金曜日)→らじおぱいれーつ みらくる放送局(土曜夜時代)
- 映画コーナー(金曜、國本担当)→シネマ1番館(土曜、伊藤担当)
主なパーソナリティ
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
レギュラー
[編集]- フリーステーション1.2.0(1981年10月 - 1982年4月)
- 月曜 - 國本良博(当時SBSアナウンサー)
- 火曜 - アンクル井出(井出孝)
- 水曜 - 荻島正己(当時SBSアナウンサー)[7]
- 木曜 - 伊藤圭介(当時SBSアナウンサー)
- 金曜 - 松野こうき(シンガーソングライター)
- フリーステーション1.2.0(1982年4月 - 10月)
- 曜日不明 - 後藤悟(ヤマハポピュラーソングコンテスト出身のミュージシャン)
- フリーステーション1.2.0(1982年10月 - 1984年4月)
- 月曜 - 今井節子→松野こうき→野田靖博(SBSアナウンサー)
- 火曜 - 井出孝・秦朋子→渡邊千晃(当時SBSアナウンサー)
- 水曜 - 松野こうき→山形美房(当時SBSアナウンサー)
- 木曜 - 伊藤圭介→野田靖博、國本良博など(伊藤の途中降板により、当時のSBSアナウンサーが持ち回りで担当した。)
- 金曜 - 國本良博(当時SBSアナウンサー)
- とびっきりナイト サタデー電リク村・び〜ん(1986年4月 - 1986年9月)
- 伊藤圭介(当時SBSアナウンサー。隔週で担当)
- 野田靖博(SBSアナウンサー。隔週で担当)
- みらくるナイト・フリーステーション1.2.0(1986年10月 - 1987年10月)
- 伊藤圭介(当時SBSアナウンサー)
- 野田靖博(SBSアナウンサー。不定期に伊藤と共に出演)
臨時・代理
[編集]テーマ曲
[編集]- 作曲:藤山節雄、演奏:キャプテン・フィンガー『タッチ・アンド・ゴー』(収録アルバム:オリジナル・サウンドトラック「テイク オフ」(YX−7223−AX) B面8曲目)[8]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 國本良博 『くんちゃんのはなしのはなし』ISBN 978-4844375579 p183
- ^ 終了翌週よりナイターシーズン入り。
- ^ 1987年10月10日放送「みらくるナイト・フリーステーション1.2.0」最終回において、当時の述懐とエピソード披露において触れられている(三才ブックス 月刊ラジオパラダイス 1987年12月号「ラジパラタイムス・SBS、伊藤圭介の「フリステ」最終回」より)。
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1987年12月号「ラジパラタイムス・SBS、伊藤圭介の「フリステ」最終回」より。
- ^ 放送時間については、三才ブックス 月刊ラジオパラダイス 1988年5月号及び1988年10月号より
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1986年9月号特集「聞かずに死ねるか!!各局「一笑必殺」コーナー大特集」(p.24)より
- ^ 荻島担当の最終回となる1982年3月31日放送分は、同年3月29日からテレビ「朝のホットライン」司会として東京放送(当時)へ出向となったため、静岡放送東京支社の一室へ機材を持ち込み(東京支社にはラジオスタジオなど番組制作設備は常設されていない)そこから生中継、本社Bスタヂオを受けサブとして生放送された。なお、最終回以外にも数回、東京支社から生中継されたことがある。
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1987年2月号 p.102「テーマ曲Q&A」
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 「「國本良博」公式サイト」- 当番組DJ(当時SBSアナウンサー)國本良博の公式サイト。
静岡放送(SBSラジオ) 月 - 金曜 20:00 - 22:20 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ぶっちゃけスタジオCut in!
(月曜 - 金曜 21:00 - 22:00) |
フリーステーション1.2.0
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静岡放送(SBSラジオ) 土曜 21:00 - 23:00(1986年 - 1987年) | ||
とびっきりナイト
サタデー電リク村・び〜ん (1986年4月 - 9月) |
みらくるナイト・フリーステーション1.2.0
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