荻島正己
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おぎしま まさみ 荻島 正己 | |
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プロフィール | |
本名 | 荻嶋 正己(読み同じ) |
愛称 | マチャミ |
出身地 |
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生年月日 | 1952年5月26日 |
没年月日 | 2014年6月21日(62歳没) |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 上智大学経済学部 |
所属事務所 |
生島企画室(業務提携) メディアプラス(最終所属、2005年 - 2014年) |
職歴 |
静岡放送アナウンサー(1975年4月 - 1982年3月) 東京放送出向(1982年4月 - 1985年3月) |
活動期間 | 1975年 - 2014年 |
ジャンル | 報道、情報他 |
配偶者 | 荻嶋初栄(旧姓:持丸)(元静岡放送アナウンサー→フリーアナウンサー) |
著名な家族 | 荻島真一(俳優、従兄) |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
朝のホットライン 土曜ニュースプラザ |
その他 | 静岡放送在籍時にはケッタウェイズのメンバーとしても活動。 |
荻島 正己(おぎしま まさみ、1952年5月26日 - 2014年6月21日[1])は、東京都新宿区出身のフリーアナウンサー。本名:荻嶋正己。血液型はA型。俳優の荻島真一は従兄にあたる。
来歴[編集]
東京都立広尾高等学校、上智大学経済学部卒業後、1975年に静岡放送入社。静岡放送の社員有志バンド「ケッタウェイズ」にも所属し、ボーカル・ギターとして活躍する(過去の出演番組「ひとこと言わせて」で流れる歌は高校時代に作り、ケッタウェイズの頃に発表したという)。
朝の情報番組「おはよう700」のコーナーであった「キャラバンII」でのリポートぶりが好評で、それを受けて1982年に「朝のホットライン」司会者に抜擢され、静岡放送在籍のままTBSに嘱託というかたちで出向した。当初は「半年限り」とされていた番組契約が好調を理由として再三再四延長されたことから生活拠点を東京に移さざるを得なくなり、番組契約が正式に終了した1985年に静岡放送を退社しフリーアナウンサーとなる。夫人の初栄(旧姓・持丸)も元静岡放送アナウンサーで、現在はフリーアナウンサーで日本語教師である[2][3] 。長女は映像ディレクターの荻嶋(小川)智[4]。
また、東京ヤクルトスワローズファンであり、初優勝の1978年以前から応援していた。夫人もその影響でスワローズファンになり、スワローズ応援番組のMCや孫娘に「樹里」と名付けたほどである[2]。
2006年1月31日、レギュラー番組「ひとこと言わせて!!」(朝日ニュースター)生放送中に食道癌を告白。翌日からは治療に専念するために一週間程度の予定で出演を休止する。番組は代役をたてずスタッフ自らが出演するなどして番組を継続した。2月8日に退院し復帰。その後、4度にわたる入院加療を続けている。6月23日から入院。代役は、以前朝日ニュースターで活躍していた波多野健。同年6月30日に復帰。告白から半年後の7月31日、「ひとこと言わせて」内で「検査の結果、がん細胞が消滅した」と発表。がんから生還する。
2007年4月からは、同局で1か月に一度「団塊ちゃんねる」の司会を担当。「プロ野球ニュース」でも引き続き活動していた。
2012年11月11日、静岡放送開局60周年特別番組「SBS39(サンキュー)ラジオ」の中の「未来につなげよう、Radio」に出演。これが静岡放送(ラジオ)では最後の出演となった。[5][6][7]
2013年秋にがんの再発と転移が判明したため、抗がん剤治療を始めたが体力が低下し、2014年6月20日に緩和ケア病棟のある病院に転院した[8]。同年6月21日に食道がんのため死去[9]。
2014年8月17日の18:00~20:00、FM-Hi!で荻島正己追悼生番組が放送された[10]。出演は國本良博、荻嶋初栄(夫人)、梅原克江。
出演番組[編集]
静岡放送(SBS)時代[編集]
- 1400電リクナイター(ラジオ)
- 1400電リクアワー(ラジオ)
- ぶっちゃけスタジオCutin!(ラジオ)
- 夜をぶっ飛ばせ!(ラジオ・期首期末時の特番)
- フリーステーション1.2.0(ラジオ・開始初期の水曜日担当)
TBSへの出向時代[編集]
- 朝のホットライン(1982年 - 1985年)
フリー転向後[編集]
- JNNスポーツチャンネル・ネットワーク(TBSテレビ、1986年4月 - 1987年9月)
- ニュースマガジン・男の土曜日(TBSラジオ、1987年 - 1988年)
- 土曜ニュースプラザ(TBSラジオ、1988年 - 2000年)
- おはよう!CNN(テレビ朝日、1987年10月 - 1988年9月)
- お天気チャンネル(フジテレビ、1988年10月 - 1989年9月)
- アンテナホット7(フジテレビ、1990年)
- TBSラジオエキサイトナイター(TBSラジオ、1993年 - 1994年)
- プロ野球ニュース(フジテレビONE)
- ラジ朝アットモーニング(テレビ朝日、1999年10月 - 2000年9月)
- ニュースジョッキー(朝日ニュースター、1999年10月 - 2001年3月)
- ニュースクリック(朝日ニュースター、2001年4月 - )
- 速報!!記者会見(月・木・金担当→火曜日のみ担当)(朝日ニュースター、1999年 - 2005年3月)
- ひとこと言わせて!!(朝日ニュースター、2005年4月 - 2007年3月)
- 団塊ちゃんねる(朝日ニュースター、2007年4月 - )
脚注[編集]
- ^ 荻島正己の投稿(323159227834724) - Facebook
- ^ a b 月刊丸ごとスワローズ第42号(2018年9月19日、サンケイスポーツ発行)の夫人(荻嶋初栄、「神宮女子」のリレーコラム)執筆から参照。
- ^ “活躍する修了生 日本語で話したい!その意欲に火をつけたくて、日々奮闘しています 荻嶋初栄さん”. ヒューマン・アカデミー. 2019年1月15日閲覧。
- ^ LAVA. “#151 映像ディレクター 荻嶋 智”. @PROFESSIONAL USERS インタビューby LAVA. BUFFALO. 2019年9月28日閲覧。
- ^ 「SBS歴代大御所パーソナリティー集合」とサブタイトルがついた番組。他の出演は松野輝洋、鈴木昭儀、国本良博、今井節子、今藤美紀代、伊藤圭介アナウンサー(当時)。
- ^ “11日 ラジオ番組”. 静岡新聞 ラジオ欄. SBSラジオ: p. 21. (2012年11月11日)
- ^ コバンしずおか; SBS radio (2014年10月5日). “SBSラジオ開局60周年 39ラジオ「未来につなげよう、Radio」”. youtube. 2021年2月1日閲覧。
- ^ “フリーアナ荻島正己さん死去 「朝のホットライン」司会”. スポーツ報知. (2014年6月27日) 2014年7月3日閲覧。
- ^ “フリーアナの荻島正巳さん死去”. スポーツニッポン. (2014年6月26日) 2014年6月26日閲覧。
- ^ まみにゃんこ (2014年8月27日). “荻島正己追悼生番組”. 小さな丸い好日. e-しずおか. 2018年10月25日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 荻島正己 (masami.ogisima) - Facebook
- メディア・スタッフのプロフィール
- 生島企画室のプロフィール(業務提携)
- 荻島正己(マチャミ)追悼番組 - (youtube・ykunchan(國本良博)チャンネル、2014年7月15日)
朝のホットライン歴代キャスター
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期間 | メイン | サブ | |
1981.9.28 | 1982.3.26 | 五味陸仁 | 宇江佐りえ |
1982.3.29 | 1984.3.30 | 荻島正己 | |
1984.4.2 | 1984.9.28 | あさののぞみ | |
1984.10.1 | 1985.3.29 | 二階堂杏子 | |
1985.4.1 | 1988.3.25 | 草野仁1 | 有村かおり2 |
1988.3.28 | 1990.3.30 | 野口雅子 | |
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