コンテンツにスキップ

シュヴェリーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 地図
Wappen der Stadt Schwerin Karte Schwerin in Deutschland
基本情報
連邦州: メクレンブルク=フォアポンメルン州
郡: 郡独立市
標高: 海抜 40 m
面積: 130.46 km²
人口:

95,740人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 734 人/km²
郵便番号: 19001-19079 (旧: 2750)
市外局番: 0385
ナンバープレート: SN
自治体コード: 13 0 04 000
市庁舎の住所: Am Packhof 2-6
19053 Schwerin
ウェブサイト: www.schwerin.de
上級市長: アンゲーリカ・グラムコウ (Angelika Gramkow)
メクレンブルク=フォアポンメルン州でのシュヴェリーンの位置
2011年統廃合後の郡と独立市の区分図
空から眺めたシュヴェリーン。湖に囲まれた街である。
シュヴェリーン城

シュヴェリーン低地ドイツ語: Swerin、標準ドイツ語: Schwerin [ʃvɛˈʁiːn, ʃvəˈʁiːn])は、ドイツ連邦共和国の都市。メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都。旧東独圏である。人口は約96,000人。

地勢・産業

[編集]

「七つの湖の街」とも称され、周辺を多くの淡水湖に囲まれている。その最大のものがシュヴェリーン湖であり、観光客も多く訪れる。交通の要所に位置しており、農作物の集散地として重要な役割を果たした。また、第二次世界大戦後の東ドイツ政権下で工業化が進められた。近隣の都市としては、約55キロ北西のリューベック、30キロ北のヴィスマール、70キロ北東のロストックなどが挙げられる。

歴史

[編集]

西スラヴ人オボトリート族の王国がその起源。オボトリート人の国家は西は神聖ローマ帝国、東からはポーランド王国、北からはデンマーク王国に攻撃され続け、ついに11世紀に滅亡する。その後神聖ローマ帝国よりザクセン人がやってきて人々を支配した。1160年ハインリヒ獅子公から自治権を与えられ、まもなく司教座がおかれた。中世から近代にかけて、メクレンブルク公領、メクレンブルク=シュヴェリーン公領の都であった。第二次世界大戦後、東ドイツ領となり工業化が進められた。

「シュヴェリーン」という地名は、オボトリート語などが属するポラーブ語の地名「シュヴィエージン」(Zwierzyn)がドイツ語風に訛ったもの。

姉妹都市

[編集]

出身者

[編集]

関連項目

[編集]

引用

[編集]

外部リンク

[編集]

ギャラリー

[編集]