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キャプスタン (エロー県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Capestang



地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オクシタニー地域圏
(département) エロー県
(arrondissement) ベジエ郡
小郡 (canton) サン=ポンス=ド=トミエール小郡
INSEEコード 34052
郵便番号 34310
市長任期 ピエール・ポラール
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Sud-Hérault
人口動態
人口 3194人
2016年
人口密度 81人/km2
住民の呼称 Capestanais
地理
座標 北緯43度19分47秒 東経3度02分43秒 / 北緯43.3297222222度 東経3.04527777778度 / 43.3297222222; 3.04527777778座標: 北緯43度19分47秒 東経3度02分43秒 / 北緯43.3297222222度 東経3.04527777778度 / 43.3297222222; 3.04527777778
標高 平均:12m
最低:0m
最高:120m
面積 39.56km2
Capestangの位置(フランス内)
Capestang
Capestang
テンプレートを表示

キャプスタンCapestang)は、フランスオクシタニー地域圏エロー県コミューン

地理

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キャプスタン湖

オード県との県境に接している。

標高20mに位置する、ラ・カラント川はキャプスタンを横断する主要河川である。ラ・カラント川は増水したオード川と同様に、湖への主要供給源である。キャプスタン湖は季節によって水位が異なるが、湖は生態学上優れた湿地帯で、多くの種類の鳥類が繁殖する。湖はナテュラ2000の特別保護区域に指定されている。

交通

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町は、内陸でベジエカルカソンヌ間を結ぶ県道11号線が走っている。また国道113号線とオートルート A9が分割される。二次道路はキャプスタンから北へピュイセルギエ、北西のカラント、南のキュクサックとナルボンヌ、北東のモレイラン、南東のニサン・レ・アンセリュヌとを結ぶ。オートルートA9道路のベジエ南インターチェンジから、キャプスタンは18km離れている。

コミューンをミディ運河が横切っており、西に大きく蛇行した後、北から町を迂回している。運河は航行可能であり、歩道を徒歩または自転車で追跡できる。

キャプスタンとコロンビエをつなぐ古い鉄道路線は、ベジエからナルボンヌまでの路線で、旅客輸送も貨物輸送も廃止されている。最も近いのはニサン・レ・アンセリュヌ駅だが、わずかな本数のTER路線しか停まらない。ベジエ駅が広範囲で便利である。

ベジエ-ヴィアス空港はベジエの東12kmにあり、ライアンエアーの路線がある。

由来

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862年にCaput stanioと記されたことが証明されている。キャプスタンはラテン語のcapt stagni(『湖の先頭』)から派生している。これは、今日部分的に干拓されているキャプスタン湖の、北端に位置しているためである。オック語のラングドックつづりCabestanhは、北オック語のChabestanh(オート=アルプ県のChabestan)、カタルーニャ語のCabestany(ピレネーゾリアンタル県のカベスタニー)と完全に一致する。

歴史

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フランス革命の間、コミューンの市民たちは、革命暦2年フリメールに結成された『人民集会』と呼ばれる革命集会に参加した。それは頻繁に開かれなかった(革命暦3年の集会では23人のメンバーがいた)[1]

人口統計

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2016年時点のコミューン人口は3194人で[2]、2011年時点の人口より3.87%増加した。

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2016年
3019 3014 2548 2675 2903 3007 3010 3194

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[3]、2006年以降INSEE[4][5]

経済

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村の経済は主として農業、ブドウ栽培、オリーブ栽培、畑作に基づいている。地理的保護表示(IGP)扱いとなっているワイン、コトー・ダンセリュヌ(fr)を生産する。

史跡

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  • サンテティエンヌ参事会教会 - 13世紀にクワイヤのみ建設された。黒死病と資金不足が、この巨大事業を停止させたのである。鐘楼は高さ43mである。教会の建築家デシャンは、ナルボンヌ大聖堂も設計している。歴史的記念物[6]
  • ミディ運河
  • ナルボンヌ大司教城 - 14世紀。このシャトーは13世紀にナルボンヌ大司教の所有となった。フォワ伯ガストン3世(fr)、フランス王フランソワ1世ルイ14世といった高名な人物が集まり、大司教城でラングドックの三部会が開催された。城には、15世紀にできた、161枚の装飾されたパネルで構成される美しい彩色天井がある。歴史的記念物[7]

脚注

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  1. ^ Jean-François Dubost, « Le réseau des Sociétés Politiques dans le département de l'Hérault pendant la Révolution française (1789-1795) », Annales historiques de la Révolution française, no 278, 1989, p. 414.
  2. ^ Population municipale légale en vigueur au 1er janvier 2019, millésimée 2016, définie dans les limites territoriales en vigueur au 1er janvier 2018, date de référence statistique : 1er janvier 2016.
  3. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=35202
  4. ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-34293
  5. ^ http://www.insee.fr
  6. ^ http://www2.culture.gouv.fr/public/mistral/merimee_fr?ACTION=CHERCHER&FIELD_1=REF&VALUE_1=PA00103404
  7. ^ http://www2.culture.gouv.fr/public/mistral/merimee_fr?ACTION=CHERCHER&FIELD_1=REF&VALUE_1=PA00103403