REOスピードワゴン

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REOスピードワゴン
REO Speedwagon
REO Speedwagon at Red Rocks July 2010.jpg
USA・モリソン公演 (2010年7月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州シャンペーン
ジャンル ブルースロック
ハードロック
ポップ・ロック
スタジアム・ロック
AOR
アメリカン・プログレ・ハード
活動期間 1967年 - 現在
レーベル エピック・レコード
Castle Records
Mailboat Records
レガシー・レコーディングス
メンバー ニール・ドーティ (Key)
ケヴィン・クローニン (Vo/G)
ブルース・ホール (B)
デイヴ・アマト (G)
ブライアン・ヒット (Dr)
旧メンバー アラン・グラッツァー (Dr)
ゲイリー・リッチラス (G)
グレッグ・フィルビン (B)
ほか別記参照

REOスピードワゴン(アール・イー・オー REO Speedwagon)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

デビュー以来、商業的成功とは無縁のライブ・バンドに甘んじていたが、1980年代にアルバム『禁じられた夜』が1千万枚を超えるセールスを記録して開花。同国を代表するアメリカン・ロックグループとして認知された。キャリアは50年にも達する。

概要[編集]

[1]1967年イリノイ州で結成し、1971年にデビュー。代表曲には「Keep On Loving You」[2]「Can't Fight This Feeling:涙のフィーリング」「In Your Letter:涙のレター」などがある。デビュー当初から年間300本に及ぶツアーでアメリカ国内のクラブ、ライブハウスや高校・大学を回る地道なライヴ活動を展開し、ブレイク前は「アメリカで最も売れていないが、長続きしているバンド」と評されるほどだったが、1980年代になって初ヒットを飛ばした。

1991年10月に活動休止したが1992年後半から再開し、現在も活動を続けている。

バンド名の由来[編集]

アメリカの自動車メーカー「レオ・モーター・カー・カンパニー」で1930年代に生産されたモデル「スピードワゴン (Speed-Wagon)」と、同社の創業者ランサム・E・オールズ(Ransom E. Olds)の頭文字に因む。

来歴[編集]

デビュー前
  • イリノイ州の同じ大学に通っていたニール・ドーティ、アラン・グラッツァーらが中心になり1967年に発足。
1971年
  • ファースト・アルバム『REOスピードワゴン』でデビュー。しかし、その直後、ヴォーカルのテリー・ルトゥレルを強制解雇。ロック史上稀に見る、とうもろこし畑に置き去りにするという解雇方法が取られた。
1972年
  • 2代目のヴォーカルとしてケヴィン・クローニンが加入した。加入のいきさつについては次の様なエピソードがある。

“もともとはバンドのメンバーを斡旋する仲介業者としての仕事をシカゴでしていたケヴィン。そんな中、テリーが抜けて困っていたゲイリーが「新しいヴォーカルを探してくれ。」とケヴィンの勤める会社に依頼したのだが、ゲイリーは何故か自分達のバンド名を伏せたままでケヴィンに教えようとはしなかった。困ったケヴィンは一計を案じ、ゲイリーに「オレのアパートに来れば、お探しのヴォーカリストに合わせてやる。」と連絡しゲイリーを誘い出した(もちろん、ゲイリーを誘い出す為の連絡なのでケヴィンはヴォーカリストを見つけていない)。そしてケヴィンの部屋にゲイリーが入ってくるなり、ケヴィンはエルトン・ジョンの曲を熱唱し出した。結果、その歌声を気に入ったゲイリーがケヴィンに「ヴォーカルになってくれ。」と依頼し、ケヴィンはこれを快諾した。

  • 新メンバーのケヴィンを迎え、2枚目のアルバム『REO/T.W.O.』をこの年の12月にリリース。
1973年
  • 3枚目のアルバム『ライディング・ストーム』のレコーディング中、プロデューサーのビル・ハルヴァーソンの妻の真っ白なカーペットに新メンバーのケヴィンが赤ワインをこぼしてしまい、その妻が激怒。この問題を収拾する為に他の4人のメンバーは数日間の話し合いを持った。結果、ケヴィンをクビにし、新しいヴォーカルを迎えるという結論に達した。既に刷られていたアルバム・ジャケットからケヴィンの姿は綺麗に消された。
  • 残されたメンバーは3代目のヴォーカル、マイク・マーフィーを加入させ、ヴォーカルのレコーディングをし直す事になった。
1974年
  • 様々なトラブルの末、3枚目のアルバム『ライディング・ストーム』リリース、全米第171位。
  • 同年11月、4枚目のアルバム『ロスト・イン・ア・ドリーム』リリース、全米第98位。このアルバムの表題曲でもある「ロスト・イン・ア・ドリーム」はマイクと後に加入する、ブルース・ホールが共作している。
1975年
  • 5枚目のアルバム『ジス・タイム・ウィ・ミーン・イット』リリース、全米第74位。
  • アルバムリリース後に3代目ボーカルのマイク・マーフィーが脱退。
  • バンドを離れていたケヴィン・クローニンが「キープ・プッシン」という曲のデモ・テープをバンドに送る。これがきっかけとなりケヴィンはバンドに復帰する。
1976年
  • この年の1月にロサンゼルスレコード・プラント・スタジオでケヴィンと他のメンバー4人でレコーディングを行なう。そして、このレコーディングで生まれたのが『REO』というアルバムで同年6月発売、全米第159位。この作品からケヴィンがバンドへ正式に復帰する。その後バンドは10ヶ月間のツアーを行なう。
1977年
  • 5月、7作目にして初のライヴアルバム『ライヴ~嵐の中へ』リリース、全米第72位。このアルバムは2枚組ライヴアルバムとして初のゴールドディスクを獲得する。
  • 先に挙げたツアー終了と同時にベーシストのグレッグが脱退。
1978年
  • 2代目ベーシスト、ブルース・ホールが加入。これによりニール、ゲイリー、アラン、ケヴィン、ブルースというバンド黄金時代の役者が全て揃う。
  • 4月、8枚目のアルバム『ツナ・フィッシュ』リリース、全米第29位。この中の1曲「ロール・ウィズ・ザ・チェンジズ」と「出発の時」がシングルとしてもヒット。
1979年
  • 8月、9枚目のアルバム『ナイン・ライヴス』リリース、全米第33位。
1980年
  • 初のベストアルバム『ディケイド・オブ・ロックンロール 1970~1980』リリース、全米第55位。
  • バンドとしての知名度は徐々に上昇していた。
  • 次のアルバム『禁じられた夜』からの先行シングルとして「キープ・オン・ラヴィング・ユー」がリリースされる。
  • 12月、11枚目のアルバム『禁じられた夜』リリース。
1981年
  • アルバム『禁じられた夜』が、それまでビルボードのアルバムチャートで8週連続全米No.1を獲得していたジョン・レノンの(遺作)『ダブル・ファンタジー』にかわってNo.1になった。その後、15週連続全米No.1を獲得し、売り上げも最終的には1000万枚を突破した。そして、この年の年間アルバムチャートでは『ダブル・ファンタジー』を抑えて年間第1位を獲得した。
  • アルバムからの先行シングルとなった「キープ・オン・ラヴィング・ユー」は同年3月21日付のビルボード・シングルチャートで全米No.1を獲得した。そして、この年の年間シングルチャート第10位にもなった。売れない地味なハードロック・バンドのままなら、批判されることもなかったのだが、大ヒットを飛ばすに至り「産業ロック」との批判を受けることになってしまった。
1982年
  • 7月、12枚目のアルバム『グッド・トラブル』リリース、全米第7位。
1983年
  • 12年ぶりに本格的なオフ期間を設けた。
1984年
  • 11月、13枚目のアルバム『ホイールズ・アー・ターニン』で活動再開、全米第7位。
1985年
  • 先に挙げたアルバムからシングルカットされた「涙のフィーリング」が同年3月9日付~3月23日付のビルボード・シングルチャートで3週連続第1位を獲得。このミュージック・ビデオは「一人の男が生まれ、成長、そして結婚し子供が生まれ、さらにその子供が独立。そして夫婦は年老いていき、夫は最愛の妻に先立たれる」というストーリーになっている。このビデオでケヴィンは特殊メイクを用い、最後の老人役で出演している。
  • 同年7月13日に行なわれたライヴエイドフィラデルフィアJFKスタジアム)に出演。「涙のフィーリング」「ロール・ウィズ・ザ・チェンジス」を披露。「ロール~」では同じく出演していたビーチ・ボーイズや他の出演者がコーラスを担当している。
  • 14枚目のアルバム『ベスト・フット・フォワード』リリース。
1987年
  • 2月、黄金期のメンバーでレコーディングされた最後のオリジナルアルバム『人生はロックンロール』(通算15枚目)をリリース、全米第28位。
1988年
  • 6月、2枚目のベストアルバム『ザ・ヒッツ』(通算16枚目)をリリース、全米第56位。その中の新曲「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ルーズ・ユー(涙のルーズ・ユー)」と「ヒア・ウィズ・ミー」(全米第20位)がゲイリーとアランがバンドメンバーとしての最後のレコーディングとなる。
  • このリリース直後、ドラムのアランが脱退。元サンタナのグラハム・リアー加入。
1989年
  • バンドの中心的存在だったギターのゲイリーが脱退。バンドは後任のギタリストとして、元プレイヤーのマイルス・ジョセフを迎えた。
1990年
  • グラハムとマイルスが脱退。元ワン・チャンのブライアン・ヒットと元テッド・ニュージェント・バンドのデイヴ・アマト、そしてフリーのキーボード奏者のジェシー・ハームスが加入。バンドは初めて6人編成となった。
  • 8月、17枚目のアルバム『ジ・アース・ア・スモール・マン・ヒズ・ドッグ・アンド・ア・チキン』をリリース、全米第129位。16年ぶりに100位以下の順位を記録してしまう。
1991年
  • 10月、3枚目のベスト・アルバム『ディケイド 1981~1991』(通算18枚目)をリリースしバンドは活動休止。
  • レコード会社の意向で4枚目のベスト・アルバム『キープ・オン・ラヴィング・ユー』(通算19枚目)をリリース。
1992年
  • この年の後半、ニール、ケヴィン、ブルース、デイヴ、ブライアンの5人で活動を再開。
1993年
  • 20枚目のアルバム『スター・ボックス』をリリース。
1995年
  • 21枚目のアルバム『ビリーヴ・イン・ロックンロール』をリリース。
1996年
1999年
  • それまでの楽曲の中からバラード曲(新曲2曲を含む)のみを集めた、5枚目のベストアルバム『バラード・ベスト』(通算23枚目)をリリース。
2000年
  • 『ライヴ~嵐の中へ』以来、23年ぶりのライヴアルバム『アーチ・オールライズ』(通算24枚目)リリース。このアルバムはスティクスと行なった合同ライヴの模様が収録されている。
2001年
  • 25枚目のアルバム『プラス』をリリース。
2004年
  • ケヴィン・クローニンが選曲し、未公開音源も収録された6枚目のベストアルバム『エッセンシャル・REOスピードワゴン』リリース。
USAミルウォーキー公演 (2007年6月)
2007年
  • 26枚目のアルバム『ファインド・ユア・オウン・ウェイ・ホーム』をリリース。
2009年
  • 27枚目のアルバム『Not So Silent Night... Christmas with REO Speedwagon』をクリスマスアルバムとしてリリース。
2015年
  • デビューから全盛期時代まで在籍した元メンバー、ゲイリー・リッチラスが死去[3]

メンバー[編集]

現ラインナップ[編集]

  • ニール・ドーティ Neal Doughty – キーボード (1967– ) 唯一のオリジナルメンバー。
  • ケヴィン・クローニン Kevin Cronin – ボーカル/ギター/キーボード (1972–1973, 1976– )
  • ブルース・ホール Bruce Hall – ベース/ボーカル (1977– )
  • デイヴ・アマト Dave Amato – ギター (1989– ) 元テッド・ニュージェント・バンド
  • ブライアン・ヒット Bryan Hitt – ドラムス (1989– ) 元ワン・チャン

旧メンバー[編集]

  • ジョー・マット Joe Matt – ボーカル/ギター (1967–1968)
  • アラン・グラッツァー Alan Gratzer - ドラム (1967–1988)
  • マイク・ブレア Mike Blair – ベース (1967–1968)
  • テリー・ルトゥレル Terry Luttrell – ボーカル (1968–1972) デビューメンバー。1stアルバムリリース直後に解雇。その後にスターキャッスルに参加し、スタジオ・アルバム4枚を発表して解散。後にゲスト参加。
  • ボブ・クラウンオーヴァー Bob Crownover – ギター (1968–1969)
  • グレッグ・フィルビン Gregg Philbinr – ベース (1968–1977) デビューメンバー
  • ジョー・マケイブ Joe McCabe – サクソフォーン (1968)
  • マーティー・シェパード Marty Shepard – トランペット (1968)
  • ビル・フィオリオ(デューク・ トゥマトー)Bill Fiorio(Duke Tumatoe) – ギター (1969)
  • スティーブ・スコーフィーナ Steve Scorfina – ギター (1969–1970)
  • ゲイリー・リッチラス Gary Richrath – ギター (1970–1989) デビューメンバー。♱RIP.2015
  • マイク・マーフィー Mike Murphy – ボーカル (1973–1976)
  • グラハム・リアー Graham Lear – ドラム (1988–1989) 元サンタナ
  • マイルス・ジョセフ Miles Joseph – ギター (1989) 元プレイヤー。♱RIP.2012
  • ジェシー・ハームス Jesse Harms – キーボード (1989–1991)

ディスコグラフィ[編集]

 シングル[編集]

  • 1981 キープ・オン・ラヴィン・ユー
  • 1981 涙のレター(In Your Letter)
  • 1985 キープ・ザ・ファイア・バーニン

 アルバム[編集]

関連項目[編集]

出典・脚注[編集]

外部リンク[編集]