PSMマカッサル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
PSMマカッサル
原語表記 Persatuan Sepak Bola Makassar
愛称
  • Juku Eja
    (The Red Fish)
  • Ayam Jantan dari Timur
    (The Eastern Rooster)
  • Pasukan Ramang
    (Ramang's Warrior)
創設 1915年11月2日[1]
所属リーグ インドネシア・プレミアリーグ
ホームタウン マカッサル
ホームスタジアム マットアンギン・スタジアム
収容人数 20,000
代表者 インドネシアの旗 Rully Habibie
監督 オランダの旗 ロベルト・アルベルツ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

PSMマカッサル (インドネシア語: PSM Makassar) はインドネシアマカッサルを本拠地とするサッカークラブである。PSMはPersatuan Sepakbola Makassar (マカッサルサッカー協会)の略称である。現在はインドネシアの国内最上位サッカーリーグであるインドネシア・プレミアリーグに参加している。

インドネシアでも屈指の強豪クラブの一つであり、2000年にはインドネシアリーグで優勝、アジアサッカー連盟 (AFC)の国際大会であるAFCチャンピオンズリーグにも2回出場している。

歴史[編集]

PSMマカッサルは1915年11月2日にMakassar Voetbal Bond (マカッサルサッカー連盟クラブ、MVB)として設立された[1]

リーガ・インドネシア[編集]

1995-96シーズンはリーガ・インドネシア・プレミア・ディヴィジョン(1部)のファーストステージ(東地区)で1位になると、西地区と東地区の各上位6チームが出場するセカンドステージでもグループCで1位になった。準決勝でプルシプラ・ジャヤプラに4-3で勝ったが、決勝ではBandung Rayaに0-2で敗れて準優勝に終わった。1996-97シーズンはファーストステージで1位、セカンドステージ(グループC)で1位になったが、準決勝でPersebaya Surabayaに2-3で敗れた。1997-98シーズンはリーガ・インドネシアインドネシアサッカー協会との間にいくつかの問題が生じ、リーグはシーズン途中で中断された。1998-99シーズンはファーストステージで2位、セカンドステージ(グループB)で最下位に終わった。

1999-2000シーズンはファーストステージで1位、セカンドステージ(グループA)で1位になると、準決勝でPersija Jakartaに1-0、決勝でPupuk Kaltimに3-2で勝って初優勝した。2001年はファーストステージで1位になった。Putra Samarindaがシーズン終盤に欠場を決めたため、1試合少ない25試合での成績となった。セカンドステージ(グループB)で2位になると、PSMS Medanとの準決勝は2-2からのPK戦を3-2で制した。決勝はPersija Jakartaに2-3で敗れた。2002年はファーストステージで4位、セカンドステージ(グループB)で2位になり、準決勝に進んだが、Persita Tangerangに0-2で敗れた。

2003年は1ステージ制で行われた。ペルシク・ケディリと5ポイント差の2位になった。2004年は17勝10分7敗の勝ち点61で優勝したPersebaya Surabayaと並びながらも2位に終わった。

2005年は再び3ステージ制に戻った。ファーストステージで2位、セカンドステージ(グループA)で3位に終わり、各グループ上位2チームが出場する決勝トーナメントには進出できなかった。2006年はファーストステージで3位、セカンドステージ(グループB)で4位に終わった。2007-08シーズンはファーストステージで5位に終わり、セカンドステージに進めなかった。このシーズンは2008-09シーズンのインドネシア・スーパーリーグの予選も兼ねていた。

インドネシア・スーパーリーグ[編集]

2008年、インドネシアサッカー協会はリーガ・インドネシア(プレミア)の上位にインドネシア・スーパーリーグを創設した(プレミアは2部相当に降格)。スーパーリーグ初年度の2008-09シーズンは18チーム中8位に終わった。

リーガ・プレミア・インドネシア[編集]

2011年、スーパーリーグがスーパーリーグとリーガ・プレミア・インドネシアに分裂した。PSMマカッサルは2010-11シーズンのスーパーリーグを辞退して、2011シーズンのリーガ・プレミアに参加し、3位になった。19チームが参加したリーガ・プレミアはハーフシーズンのみが行われた。しかし、リーガ・プレミアはインドネシアサッカー協会およびFIFA未公認のリーグとなったため、インドネシアサッカー協会によってインドネシア・プレミアリーグが創設された。

インドネシア・プレミアリーグ[編集]

2011-12シーズンはプレミアリーグで6位になった。2013年はレギュラーシーズンで6位になり、プレーオフに進んだが、グループKで2位に終わり、各グループ(K・L)1位とレギュラーシーズン優勝の3チームによる変則決勝トーナメント進出を逃した。

2014年、プレミアリーグとスーパーリーグが統合されてスーパーリーグが唯一の最上位リーグになった。PSMマカッサルはスーパーリーグの東部に所属している。

獲得タイトル[編集]

過去の成績[編集]

リーグ戦[編集]

年度 レギュラーシーズン 最終結果
所属 順位
1994-95 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 10位 32 43 11 10 11 31 31
1995-96 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 1位 30 57 17 6 7 58 26 準優勝
1996-97 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 1位 20 43 14 1 5 48 21 準決勝
1997-98 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 中止 15 30 9 3 3 33 8
1998-99 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 2位 10 17 5 2 3 11 9 ベスト10
1999-2000 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 1位 26 56 16 8 2 41 13 優勝
2001 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 1位 25 54 16 6 3 36 12 準優勝
2002 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 4位 22 43 12 7 3 42 22 準決勝
2003 リーガ・インドネシア プレミア 2位 38 62 18 8 12 68 48
2004 リーガ・インドネシア プレミア 2位 34 61 17 10 7 46 28
2005 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 2位 26 45 14 3 9 42 29 ベスト8
2006 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 3位 26 42 12 6 8 44 32 ベスト8
2007-08 リーガ・インドネシア プレミア 東地区 5位 34 57 17 6 11 43 33
2008-09 スーパーリーグ 8位 34 51 13 12 9 42 44
2009-10 スーパーリーグ 13位 34 43 12 7 15 31 46
2010-11 スーパーリーグ 辞退*
2011 リーガ・プレミア・インドネシア 3位20 18 34 10 4 4 36 18
2011-12 プレミアリーグ 6位 22 34 9 7 6 29 26
2013 プレミアリーグ 6位 18 32 10 2 6 27 12
2014 スーパーリーグ 東地区

*= 2010-11シーズン参加を辞退。
20= リーグが20試合の時点で終了。2011年6月18日までの半年でシーズン終了。成績は2011年3月31日時点。

カップ戦[編集]

アジアでの成績[編集]

年度 大会 ラウンド クラブ ホーム アウェー 合計
1997-98 アジアカップウィナーズカップ 2回戦 タイ王国の旗 ロイヤル・タイ・エアフォース 0 - 0 2 - 1 2 - 1
準々決勝 大韓民国の旗 水原三星 0 - 1 0 - 12 0 - 13
2001-02 アジアカップウィナーズカップ 1回戦 モルディブの旗 ヴィクトリー 2 - 1 0 - 3 2 - 4
1996-97 アジアクラブ選手権 1回戦 大韓民国の旗 浦項スティーラース 1 - 0 0 - 4 1 - 4
2000-01 アジアクラブ選手権 1回戦 ベトナムの旗 ソンラム・ゲアン 0 - 0 4 - 1 4 - 1
2回戦 タイ王国の旗 ロイヤル・タイ・エアフォース 6 - 1 5 - 1 11 - 1
準々決勝 中華人民共和国の旗 山東魯能泰山 1 - 3 4位
大韓民国の旗 水原三星 1 - 8
日本の旗 ジュビロ磐田 0 - 3
2004 AFCチャンピオンズリーグ グループF ベトナムの旗 ホアンアイン・ザライ 3-0 1-5 4位
タイ王国の旗 クルン・タイ・バンク 2-3 2-1
中華人民共和国の旗 大連実徳 0-1 1-2
2005 AFCチャンピオンズリーグ グループF タイ王国の旗 BECテロ・サーサナFC 2-2 1-0 3位
日本の旗 横浜F・マリノス 0-2 0-3
中華人民共和国の旗 山東魯能 0-1 1-6

サポーター[編集]

PSMマカッサルは忠誠心の高いサポーターに支えられている。彼らには「Macz Man Indonesia」という愛称がある。 Macz Man Indonesiaのスローガンは「Punna stangnga-stangngako, mundurukko!」である。

サポーターグループの名誉会長は、インドネシアで保険・金融事業を展開するアクサグループ、Axa Mandiriの社長Iriantosyah Kasim氏であり[2][3]、秘書はAndi Muhammad Alamである。

PSMマカッサルの試合において、Macz Man Indonesiaがマットアンギン・ヘル・スタジアムに現れるときは、Choklat Maczman氏がスタジアムにおけるまとめ役を行なっている。Choklat Maczmanの指揮のもと、Macz Man Indonesiaは試合中チャントを歌い様々なパフォーマンスを行う。

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

外国籍選手[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b SEJARAH PSM MAKASSAR”. PSMマカッサル公式サイト. 2013年2月19日閲覧。
  2. ^ Company Profile”. axa-mandiri.co.id. 2013年2月19日閲覧。
  3. ^ Axa Mandiri Klarifikasi Keluhan Iriantosyah Kasim”. makassar.tribunnews.com (2011年12月28日). 2013年2月19日閲覧。

外部リンク[編集]