記憶術

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歴史

西洋

西洋における記憶術の歴史は古く、伝統的な修辞学の一部門として扱われていた。記憶術を意味する英語: mnemonic(ニーモニック)は、古代ギリシア語: μνημονικός(ムネーモニコス、mnemonikos、記憶)からの派生語であり、その語源はギリシア神話の記憶の女神ムネーモシュネーに由来する。

紀元前6世紀ごろの、古代ギリシアシモニデスが開祖といわれる。シモニデスの手法は、紀元前1世紀ラテン語文献『ヘレンニウスへ英語版』(作者不詳)に記載されている。記憶術は古代ローマでも、元老院などでメモを使用しての弁論が認められていなかったなどの理由により発達した。

古代ギリシア・ローマの記憶術はその後、中世ヨーロッパに受け継がれ、主に修道士神学者などが聖書やその他の多くの書物を記憶するために用いられた。当時は紙が貴重で、印刷技術も未発達であったため、卓越した記憶力を養うことは教養人の必要条件であった。

ルネサンス期からバロック期には、ラモン・リュイジョルダーノ・ブルーノらによって、記憶術の複雑な体系が構築された[1][2]

日本

体の部位をもって、数に置き換えて、覚える・記憶する行為自体は縄文時代にまで遡る(後述書 p.30)。秋田県鹿角市の縄文時代後期前葉(約4千年前)大湯環状列石の野中堂遺跡隣接地から出土した土版型土偶の刺突紋から、口を1、目を2、右胸を3、左胸を4、正中線を5、裏面の両耳で6といった風に体の部位で数を覚えていたことが明らかになっている(『戦後50年 古代史発掘総まくり』 アサヒグラフ別冊1996年4月1日号 朝日新聞社 p.30)。

伝説上、瞬間記憶に長けた人物としては、聖徳太子が知られている(『日本書紀』における「豊聡耳」伝説。詳細は、聖徳太子#そのほかの伝説)。また、文字文化が普及していなかった段階での『古事記』の編纂には、記憶に長けた稗田阿礼が起用されたことが知られる。文字文化が普及した後代近世でも盲目の国学者である塙保己一が『群書類従』を編纂するなど(厳密には完成前に没している)、記憶に長けた人物による書物の編纂はみられる。

時代は下り、封建時代の忍者も記憶術に関して方法を記録しており、『当流奪口忍之巻註』、『心覚目録之事』には、「大袈裟にして覚えること」、「自分のよく知っているものと置き換えて覚える」ように記しており(後述書 p.177)、地形・敵の強弱・人数・日の吉凶・月の出入り・潮の干満・方角・時刻などを覚えた(後述書 p.178)。また『当流奪口忍之巻註』では、「いろは一二三の事」で、いろはを数字やに置き換えて覚えるように記されており、『万川集海』にも「忍びいろは」と言って、漢字部首と旁の組み合わせによって、いろは48文字を表した(山田雄司 『忍者の歴史』 角川選書 2016年 p.176)。

備考

カセットテープやボイスレコーダーといった音声記録機器の登場以前、記憶に長ける必要性があった職業としては、接客業のウェイトレスやジャーナリストの記者が挙げられ(特に前者は文盲の場合、記憶術の必要性が高い)、速記術も重視されたが、文法の簡略化・単語を一文字に置き換えるなどによって大量の情報を記憶する。また記憶が重要となる遊びとして、百人一首かるたが挙げられる。

内容

記憶術は、大きく2つの系統に分類できる。一つは、純粋に記憶のコツのようなものによって記憶の効率を上げる方法、もう一つは、人間の能力を向上させることによって記憶力を向上させる方法である。

シモニデスによってなされた、宴の座席とそこに座っていた人間とを対応させて記憶する「座の方法」(場所法)や、そこから派生した、物を掛けるためのフック(鈎)を想像して、これに記憶すべきものを対応させる「フックの方法」などが前者の例として知られる。

記憶術にとって大事な概念の一つに「分割」と「組み立て」が存在する。短期記憶は7±2の法則により、あまり多くの情報を一度に詰め込むとそれに対処できない。それゆえに膨大な情報を記憶する際にはそれをいくつかの短い断片に「分割」(チャンク化)して、各自にそれを記憶し、後にそれをつなげる「組み立て」を行うことで記憶を完成させるという概念である。学問としては認知心理学の対象である。

後者の例としては、視野の拡大や、右脳の活性化などによる方法や、記憶力の向上によい食品や生活スタイルの追求などがある。この中には学問的に証明されていない主張も多くしばしばニセ科学になりやすい。とくに日本では脳科学と言われている。

記憶術の例

場所法

場所(自宅や実際にある場所でも、架空の場所でも良く、体の部位に配置する方法もある)を思い浮かべ、そこに記憶したい対象を置く方法である。「記憶の宮殿」「ジャーニー法」「基礎結合法」とも呼ばれる。記憶したい対象を空間に並べていく方法である。人間は例えば他人の家に行った場合でも、どこに何があったかは比較的よく覚えており、その性質を利用する。記憶したい対象が抽象的なものの場合は、置換法を使い、イメージしやすい対象に変換してから記憶する。

この方法は海馬にある場所ニューロンの特性を利用している。場所ニューロンは名前のとおり、場所の記憶を司る。場所の記憶は動物にとって重要なため、長期記憶に保存されやすい性質を持っている。

その長所としては記憶の保持期間が他の記憶術と比較して著しく長いこと。欠点としては、一つの場所にあまり多くの情報を詰め込みすぎると混乱をきたすため、わずかな情報しか入れられないということ。そのため、充分な情報を詰め込めるだけの場所の確保に手間がかかるということである。世界記憶力選手権の世界トップ選手は数百個程度のイメージを競技中に記憶している。

階層構造をなしているものを記憶する場合は、何フロアもあり、フロア内も部屋にわかれているものを場所に使うと記憶できる。この手法は「鈴なり式」とも呼ばれる。

場所法は、少なくとも上述のシモニデスの時代から知られている。コナン・ドイルの小説『緋色の研究』では、名探偵シャーロック・ホームズも使っていたとされる。

物語法

物語を考え、その話に記憶したい対象を登場させる方法である。記憶したい項目を時間的に配列する方法である。

頭文字法

記憶したい対象の頭文字を取り出して覚える方法である。

置換法

人間は抽象的なものよりも具体的で視覚的にイメージしやすい物の方が覚えやすいので、数字などを別なものに置き換える方法。

人-行動-対象システム

Person-Action-Object (PAO) System[3] と呼ばれる。まず、2桁(可能な人は3桁)の数字から、人・行動・対象への変換表を覚える。100×3個、合計300個覚える。すると、6桁の数字は、1組の人・行動・対象になり、イメージしやすくなる。これに場所法などを併用し、長い数列を記憶する。人・行動・対象への変換表はなるべくインパクトがあり、印象に残りやすく、かつ、相互に混同しにくいものを選ぶと覚えやすくなる。

たとえば、トランプのカードを覚える場合も、52枚のカードそれぞれに、人・行動・対象への変換表を覚えると、1つのイメージで3枚のカードが記憶でき、17イメージ+1枚で1組のトランプの順番を覚えられる。17イメージ+1枚を場所法などで記憶する。2018年現在、世界記憶力選手権の世界記録では1組のトランプを13.96秒で記憶している。

数字子音置換法

メジャー記憶術ともよばれる[4]。数字を子音に置き換える方法である。子音と子音の間に適当な母音を補う。英語などのヨーロッパ系の言語で用いられる。数列を単語に置き換えられる。

  • 0 → s, c(サ行の音), z
  • 1 → t, d, th
  • 2 → n
  • 3 → m
  • 4 → r
  • 5 → l
  • 6 → sh, ch, j, g(ヂャ行の音)
  • 7 → k, c(カ行の音), g(ガ行の音), ng
  • 8 → f, v
  • 9 → p, b

数字仮名置換法

数字を仮名に置き換える方法である。数字子音置換法を日本語用に改良したもの。

  • 1 → あ行 → あ、い、う、え、お
  • 2 → か行 → か、き、く、け、こ
  • 3 → さ行 → さ、し、す、せ、そ
  • 4 → た行 → た、ち、つ、て、と
  • 5 → な行 → な、に、ぬ、ね、の
  • 6 → は行 → は、ひ、ふ、へ、ほ
  • 7 → ま行 → ま、み、む、め、も
  • 8 → や行 → や、ゆ、よ
  • 9 → ら行 → ら、り、る、れ、ろ
  • 0 → わ行 → わ、ん、(ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ)

0がわ行だけでは少ないので、ぱ行も使う。

語呂合わせ

数字を仮名に置き換える方法である。数字子音置換法よりも簡単に習得できるが、数字に対応する文字が少ないので、適当な文を作るのが大変であるが、日本語の場合、その自由度が高いので、一般に広く、たとえば電話番号などを憶えるのにも使われる。音読みと外来語とその変形をカタカナ、訓読みとその変形をひらがなで表す。語呂合わせも参照。

  • 1 → イチ、イ、ひと、ひ
  • 2 → ニ、ふた、ふ
  • 3 → サン、サ、み
  • 4 → シ、よ
  • 5 → ゴ、コ、いつ
  • 6 → ロク、ロ、む
  • 7→ シチ、なな、な
  • 8 → ハチ、ハ、パ、バ、や
  • 9 → キュウ、キュ、ク、ここの、ここ、こ
  • 0 → レイ、レ、ゼロ、ゼ、まる、わ、ん、オー、オ
  • 10 → ジュウ、ジュ、とお、と
  • 100 → ヒャク、ヒャ、もも、も
  • 1000 → セン、セ、ち
  • 10000 → マン、よろず、よろ

0をアルファベットのOに見立ててオー、オとすることも見受けられる。 また1をアルファベットのIに見立てることもある。

片手指法

5の項目を片手の指に対応させて覚える方法である。

両手指法

10の項目を両手の指に対応させて覚える方法である。

  • 左手小指 → 1
  • 左手薬指 → 2
  • 左手中指 → 3
  • 左手人差し指 → 4
  • 左手親指 → 5
  • 右手親指 → 6
  • 右手人差し指 → 7
  • 右手中指 → 8
  • 右手薬指 → 9
  • 右手小指 → 10

時計法

12の項目を時計の文字盤に対応させて覚える方法である。

  • 01時 → 1
  • 02時 → 2
  • 03時 → 3
  • 04時 → 4
  • 05時 → 5
  • 06時 → 6
  • 07時 → 7
  • 08時 → 8
  • 09時 → 9
  • 10時 → 10
  • 11時 → 11
  • 12時 → 12

音韻法

数字をその数字と韻を踏む単語に置き換える方法である。

  • 01 → one → sun,fun,gun,nun
  • 02 → two → shoe,Jew
  • 03 → three → tree,bee,key,tea
  • 04 → four → door,core
  • 05 → five → live
  • 06 → six → sticks
  • 07 → seven → heaven
  • 08 → eight → gate,date,fate,mate
  • 09 → nine → line,sign,pine,wine
  • 10 → ten → pen,men,hen

形態法

数字をその数字に似た形に置き換える方法である。

  • 1 → 鉛筆、煙突
  • 2 → アヒル
  • 3 → 耳、唇
  • 4 → ヨット
  • 5 → 鍵
  • 6 → さくらんぼ
  • 7 → がけ、鎌
  • 8 → だるま
  • 9 → オタマジャクシ
  • 0 → 卵

出典

  1. ^ フランセス・イエイツ著、玉泉八州男監訳、青木信義訳『記憶術』水声社、1993年。 
  2. ^ 桑木野幸司『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』講談社〈講談社選書メチエ〉、2018年。 
  3. ^ Person-Action-Object (PAO) System - Memory Techniques Wiki<
  4. ^ Major System - Memory Techniques Wiki

参考文献

  • フランシス・イエイツ 著、青木信義篠崎実玉泉八州男井出新野崎睦美 訳『記憶術』水声社、1993年6月、519頁。ISBN 978-4-89176-252-0 
  • 岩井洋『記憶術のススメ 近代日本と立身出世』青弓社、1997年1月、179頁。ISBN 978-4-7872-3132-1 
  • メアリー・カラザース 著、別宮貞徳 訳『記憶術と書物 中世ヨーロッパの情報文化』工作舎、1997年10月、537頁。ISBN 978-4-87502-288-6 

記憶術の古典

関連項目

外部リンク