華川郡
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位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 화천군 |
漢字: | 華川郡 |
日本語読み仮名: | かせんぐん |
片仮名転写: | ファチョン=グン |
ローマ字転写 (RR): | Hwacheon-gun |
統計 | |
面積: | 909.5 km2 |
総人口: | 24,820(2016年) 人 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
上位自治体: | 江原特別自治道 |
下位行政区画: | 1邑4面 |
華川郡の木: | ミズキ |
華川郡の花: | ツツジ |
華川郡の鳥: | コウライウグイス |
自治体公式サイト: | 華川郡 |
華川郡(ファチョンぐん)は、大韓民国江原特別自治道にある郡。
歴史
- 高句麗時代 - 牲川郡または也尸買と呼ばれた。
- 685年(新羅神文王6年) - 狼川と呼ばれた。
- 995年(高麗成宗16年) - 朔方道の管轄となる。
- 1178年(高麗明宗8年) - 朔方道を廃して春州道が設置され、春州道の管轄となった。[1]
- 1413年(朝鮮太宗13年) - 県監を設置した。
- 1645年(朝鮮仁祖23年) - 県を廃止して今の金化郡にあった都護府管轄となったが、後に再び県に戻った。
- 1869年(朝鮮高宗6年) - 華川に改称。
- 1895年 - 狼川郡に改称。
- 1902年 - 華川郡に改称。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、華川郡に以下の面が成立。[2](4面)
- 下南面・看東面・郡内面・上西面
- 1917年 - 郡内面が華川面に改称。
- 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。(4面)
- 1946年12月 - ソ連軍管理下の京畿道加平郡北面と春川郡史内面・史北面・北山面(38度線以北の地域)を編入。(5面)
- 北面・史内面が合併し、史内面を設置。
- 史北面・下南面が合併し、下南面を設置。
- 北山面・看東面が合併し、看東面を設置。
- 1953年7月27日 - 朝鮮戦争の結果、全域が韓国が収復。
- 1954年
- 1979年5月1日 - 華川面が華川邑に昇格。[5](1邑4面)
行政
警察
消防
下位行政単位
邑・面 | 法定里 |
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華川邑 | 大利里、東村里、上里、新邑里、衙里、中里、豊山里、下里 |
下南面 | 居礼里、啓星里、論味里、三和里、鋤吾芝里、安坪里、龍岩里、原川里、位羅里 |
看東面 | 看尺里、九万里、都宋里、芳川里、梧陰里、龍湖里、楡村里 |
上西面 | 九雲里、芦洞里、多木里、馬峴里、峰吾里、富村里、山陽里、新大里、新豊里、長村里、巴浦里 |
史内面 | 広徳里、明月里、史倉里、三逸里、龍潭里 |