松岡秀夫
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松岡秀夫 まつおか ひでお | |
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生年月日 | 1898年3月7日 |
出生地 |
日本 埼玉県北埼玉郡星河村 (現・埼玉県行田市) |
没年月日 | 1944年9月4日(46歳没) |
死没地 | ビルマ国 |
出身校 | 東京帝国大学農学部農学実科卒業 |
前職 |
忍商業銀行取締役頭取 (現・りそな銀行・埼玉りそな銀行) |
所属政党 | 翼賛政治会 |
選挙区 | 埼玉県第3選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1942年 - 1943年12月4日 |
忍町会議長 | |
その他の職歴 | |
星河村長 ( - ) | |
星河村会議員 ( - ) |
松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年(明治31年)3月7日 - 1944年(昭和19年)9月4日[1])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、星河村長、忍町長。
経歴
埼玉県北埼玉郡星河村(現行田市)で、醤油醸造業・松岡三五郎の長男として生まれる[1]。1915年、埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)。1920年、東京帝国大学農学部農学実科を卒業した[1][2]。1923年から1931年まで忍高等女学校で理科・実業科嘱託教師を務めた[1]。
また、星河村農会長、蚕業組合長、忍貯蓄銀行取締役頭取、忍商業銀行(現・りそな銀行・埼玉りそな銀行[3][4][5][6])取締役頭取、星河村会議員、同村長、忍町会議員、同議長、同町長、埼玉県会議員、帝国在郷軍人会北埼玉郡連合分会長などを歴任[1][2]。日中戦争に出征し、陸軍歩兵中尉に昇進した[2][7]。
1942年4月、第21回衆議院議員総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け埼玉県第三区から出馬して当選し翼賛政治会に参加[1][2]。大政翼賛会埼玉県参与、翼賛政治会政調文部委員、同大蔵兼務委員を務めた[7]。臨時召集を受け1943年12月4日に議員を退職した[8]。太平洋戦争に出征し、1944年、ビルマで戦死した[1][2]。
脚注
- ^ a b c d e f g 『埼玉人物事典』「松岡秀雄」732頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』595-596頁。
- ^ “銀行変遷史データベース”. www.opac1.com. 2022年2月10日閲覧。
- ^ “銀行変遷史データベース”. www.opac1.com. 2022年2月10日閲覧。
- ^ “銀行変遷史データベース”. www.opac1.com. 2022年2月10日閲覧。
- ^ “銀行変遷史データベース”. www.opac1.com. 2022年2月10日閲覧。
- ^ a b 『翼賛議員銘鑑』380頁。
- ^ 『官報』第5076号、昭和18年12月13日。
参考文献
- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。