源潔姫
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 弘仁元年(810年) |
死没 | 斉衡3年6月25日(856年7月30日) |
墓所 | 愛宕墓(山城国愛宕郡、現・京都府京都市左京区南部の吉田山) |
官位 | 正三位、贈正一位 |
氏族 | 嵯峨源氏 |
父母 | 父:嵯峨天皇、母:当麻治田麻呂女 |
兄弟 | 仁子内親王、業良親王、業子内親王、有智子内親王、仁明天皇、正子内親王、信、貞姫、潔姫、弘、全姫、常、覚、明、善姫、定、基良親王、基子内親王、秀良親王、秀子内親王、忠良親王、俊子内親王、芳子内親王、繁子内親王、宗子内親王、純子内親王、斉子内親王、生、安、融、鎮、啓、勤、清、勝、他 |
夫 | 藤原良房 |
子 | 明子(文徳天皇女御) |
源潔姫(みなもと の きよひめ)は、嵯峨天皇の皇女。母は当麻治田麻呂女。藤原良房の正妻。清和天皇の外祖母。贈正一位。
臣籍降下後の結婚であるが、史料上確実な「臣下の妻となった初めての皇女」である[1]。良房との間に生まれたのは、文徳天皇女御となった明子ひとりであり、他に妻を迎えず後嗣のなかった夫・良房は甥の基経を猶子とした。
経歴
弘仁5年(814年)、同母妹全姫を含めた7人の兄弟姉妹とともに源朝臣を賜った。これは賜姓源氏の初めである。兄・源信が戸主となる。
弘仁14年(823年)頃、おそらく14歳で20歳の藤原良房と結婚する[2][3]。潔姫は琵琶を得意とし、嵯峨天皇に愛された娘だったという。天長6年(829年)、娘明子を生む。
承和8年(841年)、無位から正四位下に叙せられる。仁寿元年(851年)11月、右大臣であった良房が正二位に昇叙した際、その「家夫人」であるとして潔姫も従三位に昇叙した。女官でなく、(大臣の)妻であることをもって高位に叙された初例である[4]。仁寿3年(853年)3月、正三位に叙せられる。 斉衡3年(856年) 薨去。