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奥平英雄

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奥平 英雄(おくだいら ひでお、1905年 -2000年 )は、日本美術史家・日本美術評論家

来歴

広島県呉市生まれ。江田島の海軍兵学校への登竜門としても有名な呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)、旧制広島高等学校(1期生)を経て、京都帝国大学哲学科中退、1932年東京帝国大学文学部美学科美術史卒。同大学大学院を経て、東京国立博物館技官、資料課長、のち名誉館員。和光大学教授、共立女子大学教授を務め、同大学文芸学部の設立に携わった。

主な著書

共編著

参考文献

  • 田中眞澄「奥平英雄コレクションと高村光太郎の消された戦中戦後」『文學界』2001.7.
  • 奥平『忘れ得ぬ人びと』