犬童球渓
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犬童 球渓 | |
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出生名 | 犬童 信蔵(いんどう のぶぞう) |
生誕 | 1879年3月20日 |
出身地 | 日本 熊本県球磨郡藍田村 |
死没 | 1943年10月19日(64歳没) |
学歴 | 東京音楽学校甲種師範科卒業 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 詩人、作詞家、教育者 |
犬童 球渓(いんどう きゅうけい、1879年3月20日 - 1943年10月19日[1])は、日本の詩人、作詞家、教育者。
経歴
熊本県球磨郡藍田村(現在の人吉市)生まれ[2]。本名は「犬童信蔵(いんどう のぶぞう)」というが、球磨川の渓谷に生まれたことから「球渓」というペンネームをつけた。1901年、熊本師範学校を卒業し、宇土郡網田尋常小学校に勤務する[3]。1905年3月、東京音楽学校甲種師範科を卒業し、兵庫県立柏原中学校(現在の兵庫県立柏原高等学校)に勤務する[4]。1906年に新潟高等女学校(現在の新潟県立新潟中央高等学校)、1908年に熊本県立高等女学校(現在の熊本県立第一高等学校)、1918年に人吉高等女学校(現在の熊本県立人吉高等学校)に赴任[2]。1943年、人吉市で自殺。
新潟高等女学校赴任中に訳した『旅愁』、『故郷の廃家』が明治40年(1907年)の「中等教育唱歌集」に取り上げられ、現在でも広く歌われている。犬童球渓はこれらの代表作も含めて、生涯に250曲ほどの西洋歌曲の翻訳作詞を残した。彼の訳詞の特徴として、英語からの直訳を嫌い、日本語らしい表現にこだわった点などが挙げられる。
作品
作曲
訳詞
脚注
注釈
- ^ 故郷の廃家―人吉城址にある犬童球渓顕彰碑には、この曲の1番の歌詞が刻まれている。
出典
- ^ コトバンク.
- ^ a b c 人吉市 2020.
- ^ 熊本県大百科事典 1982.
- ^ 東京音楽学校一覧 1906, p. 101, 第9部第1章 卒業生氏名.
- ^ “県立柏原中学校校歌”. 柏陵 兵庫県立柏原高校同窓会 (2011年6月27日). 2021年12月22日閲覧。
参考文献
- 『東京音楽学校一覧 従明治三十八年 至明治三十九年』東京音楽学校、1906年。NDLJP:813018。
- 熊本日日新聞社熊本県大百科事典編集委員会 編「犬童球渓」『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年、67頁。
- “人吉市の偉人、犬童球渓先生の紹介”. 人吉市 (2020年11月11日). 2021年12月22日閲覧。
- 「犬童球渓」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。コトバンクより2021年12月22日閲覧。