犬童球渓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
犬童 球渓
生誕 (1879-04-20) 1879年4月20日
出身地 日本の旗 日本 熊本県人吉市
死没 (1943-10-19) 1943年10月19日(64歳没)
学歴 東京音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 詩人作詞家教育者

犬童 球渓(いんどう きゅうけい、1879年4月20日 - 1943年10月19日)は、日本詩人作詞家教育者

経歴[編集]

熊本県人吉市生まれ。本名は「犬童信蔵(いんどう のぶぞう)」というが、球磨川の渓谷に生まれたことから「球渓」というペンネームをつけた。1901年熊本師範学校を卒業し、宇土郡網田小学校に勤務する[1]1905年東京音楽学校卒業。1943年、人吉市で自殺。

新潟高等女学校赴任中に訳した『旅愁』、『故郷の廃家』が明治40年(1907年)の「中等教育唱歌集」に取り上げられ、現在でも広く歌われている。犬童球渓はこれらの代表作も含めて、生涯に250曲ほどの西洋歌曲の翻訳作詞を残した。彼の訳詞の特徴として、英語からの直訳を嫌い、日本語らしい表現にこだわった点などが挙げられる。

作品[編集]

  • 旅愁
  • 故郷の廃家―人吉城址にある犬童球渓顕彰碑には、この曲の1番の歌詞が刻まれている。

出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 熊本日日新聞社編纂・発行 『熊本県大百科辞典』「犬童球渓」、1982年、67頁

外部リンク[編集]

犬童球渓記念館 http://kyukei.jp/