大江新太郎
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大江 新太郎(おおえ しんたろう、1879年10月26日 - 1935年6月17日)は日本の建築家。
大江新太郎 | |
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『多賀神社造営誌』より | |
生誕 |
1879年10月26日 東京都 |
死没 |
1935年6月17日(55歳没) 神奈川県鎌倉市[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 | 帝国大学(現・東京大学) |
職業 | 建築家 |
受賞 | 勲三等瑞宝章 |
所属 | 内務省ほか |
建築物 |
明治神宮宝物殿 高野山霊宝館 武田神社 |
プロジェクト |
日光社寺大修繕工事(1907-1926) 第58回式年遷宮 |
概要
日光東照宮の修復を行ったことで知られる。日光廟大條繕に携わって以来、生涯にわたって日本の伝統建築を追求した。明治神宮造営、伊勢神宮造営などの主任技師として活躍するほか、東京帝国大学では庭園学を講義した。
1879年東京生まれ。京都府育ち。旧制三高を経て1904年(明治37年)東京帝国大学工科大学建築学科卒業。1905年(明治38年) 清国へ学術調査。
1907年(明治41年) 日光社寺大修繕工事監督嘱託(1926年まで)。その後栃木県技師。1913年(大正2年)神社奉祀調査会事務嘱託。1915年(大正4年)明治神宮造常局技師兼任(1926年まで)などを経て内務省技師(神社局)。この間、日光東照宮の修復や明治神宮の造営に関わった。1920年(大正9年)から東京帝国大学工学部講師嘱託。
l923年(大正12年)、臨時震災救護事務局事務官。皇典講究所工事顧問嘱託。 1926年(大正15年)、内務技師兼任。1929年(昭和4年)年、伊勢神宮御造営主任技師(1930年退官) 1935年(昭和10年)、56歳で逝去。
子息の大江宏も建築家である。
代表作
- 明治神宮宝物殿:重要文化財
- 高野山霊宝館:登録有形文化財
- 鈴鹿荘(旧川喜多邸):部材を保管?
- 清明亭(旧長尾欽弥邸):東京都選定歴史的建造物
- 扇湖山荘(旧長尾欽弥鎌倉別邸):1階部分RC造・2階部分に高山の民家を移築、庭園は小川治兵衛。鎌倉市に寄付される
- 福島稲荷神社社殿
- 神田神社社殿(佐藤功一と連名)
- 厳島神社宝物館:登録有形文化財
- 岩崎小弥太鳥居坂別邸:庭園は小川治兵衛。おもに三菱社の迎賓館としていたが昭和20年に戦災で焼失、跡地に「国際文化会館」が建つ
- 日光廟大修繕 1907-16
- 明治神宮大造営 1915-26
- 伊勢神宮造営 1929
- 武田神社
ほか、神社、宝物館、神苑、邸宅、能楽堂など多数。
著作
- 「神宮の建築に就いて」『明治神宮』庭園協会編 嵩書房 1920
- 「作庭意匠」『アルス建築講座』4アルス 1925
- 『敷石・飛石・手水鉢』造園叢書7 雄山閣 1929
- 「日光東照宮廻廊・唐門地図版解説」『世界美術全集』21 平凡社 1929
脚注
- ^ 中村傅治「病臥中の大江君」『建築雑誌』1935.9月号(特集・大江新太郎君を弔ふ)
参考文献
- 「大江新太郎君を弔ふ」『建築雑誌』1935.9月号(特集)
- 大江宏他「人物風土記永遠の建築を追及した優稚な建築家・大江新太郎」『建築士』1960.3月号
- 伊藤三千雄・前野まさる『日本の建築明治大正昭和』8 三省堂 1982
- 藤岡洋保・今藤啓他「大江新太郎の神社建築観」『学会大会梗概集・F』1992