アドミラール・コルニーロフ (軽巡洋艦・初代)
アドミラール・コルニーロフ タラース・シェウチェーンコ | ||
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艦歴 | ||
アドミラール・コルニーロフ Адмирал Корнилов | ||
起工 | 1915年11月11日 ルッスード造船所 | |
進水 | 1916年6月11日 | |
所属 | ロシア帝国海軍黒海艦隊[1] ロシア帝国海軍黒海艦隊[1] | |
転属 | 1917年3月 | |
所属 | 臨時政府黒海艦隊[1] | |
転属 | 1918年1月29日 | |
所属 | 労農赤色海軍黒海海軍[1] | |
アドミラール・コルニーロウ Адмірал Корнілов | ||
転属 | 1918年4月 | |
所属 | ウクライナ人民共和国海軍 | |
転属 | 1918年5月 | |
所属 | ウクライナ国海軍 | |
転属 | 1918年11月24日 | |
所属 | イギリス海軍 | |
タラース・シェウチェーンコ Тарас Шевченко | ||
改称 | 1919年1月27日 | |
所属 | ウクライナ人民共和国海軍 | |
アドミラール・コルニーロフ Адмирал Корнилов | ||
改称 | 1919年1月24日 | |
所属 | 南ロシア海軍黒海艦隊 | |
転属 | 1919年4月 | |
所属 | 赤軍ウクライナ戦線黒海艦隊[1] | |
転属 | 1919年8月 | |
所属 | 南ロシア海軍黒海艦隊 | |
転属 | 1920年2月 | |
所属 | 赤色海軍黒海・アゾフ海海軍[1] | |
転属 | 1920年12月10日 | |
所属 | ウクライナ・クリミア軍黒海・アゾフ海海軍[1] | |
転属 | 1921年11月 | |
所属 | ウクライナ・クリミア軍黒海海軍[1] | |
転属 | 1922年6月3日 | |
所属 | 赤色海軍黒海海軍[1] | |
除籍 | 1927年 | |
要目 | ||
艦種 | 軽巡洋艦 | |
艦級 | スヴェトラーナ級(アドミラール・ナヒーモフ級) | |
排水量 | 7600 t | |
全長 | 166.68 m | |
全幅 | 15.71 m | |
全高 | 6.07 m | |
機関 | カーティスAEGバルカン 蒸気タービン |
4 基 |
出力 | 55000 馬力 | |
ヤーロウ缶 | 13 基 | |
プロペラシャフト | 4 基 | |
スクリュー | 4 基 | |
電源 | ディーゼル発電機 | 75 kWt |
蒸気タービン発電機 | 125 kWt | |
燃料 | 通常(石炭 + 石油) | 498 t |
最大(石炭 + 石油) | 1167 t | |
速力 | 29.5 kn | |
航続距離 | 1200 浬/14 kn 470 浬/29.5 kn | |
乗員 | 士官 | 20 名 |
水兵 | 382 名 | |
武装 | 55口径130 mm単装砲 | 15 門 |
38口径63.5 mm単装高角砲 | 4 門 | |
7.62 mm単装機銃 | 4 門 | |
457 mm水中魚雷発射管 | 2 門 | |
魚雷 | 6 発 | |
機雷 | 100 個 | |
無線装置 | 海軍省1911年型 | |
出力 | 8 kWt | |
交信距離 | 600 浬 | |
装甲 | 舷側 | 25 - 75 mm |
機関室壁 | 20 mm | |
上部装甲甲板 | 20 mm | |
下部装甲甲板 | 20 mm | |
司令塔 | 75 mm | |
主砲塔 | 25 mm | |
装甲砲座 | 25 mm | |
探照燈 | 110 mm径 | 4 基 |
90 mm径 | 4 基 |
アドミラール・コルニーロフ(ロシア語:Адмирал Корниловアドミラール・カルニーラフ)は、ロシア帝国において開発された軽巡洋艦(Легкий Крейсер)である。艦名は「コルニーロフ海軍大将」という意味で、クリミヤ戦争で活躍したヴラジーミル・アレクセーエヴィチ・コルニーロフに由来する。
艦歴
建造
1915年11月11日に、ウクライナのニコラーエフ(ムィコラーイウ)のロシア造船会社(略称:ルッスード;Русского судостроительного общества;Руссуд)において、ロシア帝国海軍黒海艦隊のための軽巡洋艦として起工した。スヴェトラーナ級軽巡洋艦の最終艦となる8番艦で、黒海艦隊向けの同級であるアドミラール・ナヒーモフ級としては4番艦であった。
進水は1916年6月11日に行われたが、第一次世界大戦の間アドミラール・コルニーロフの建造作業は完結せず、ニコラーエフの岸壁に係留されたままになっていた。そして、1917年にはロシア革命とロシア内戦が始まった。
アドミラール・コルニーロフは、二月革命後に臨時政府の管轄下に置かれ、この体制はボリシェヴィキによる十月革命後も変わらなかった。しかし、年内には黒海艦隊のウクライナ人勤務者によってウクライナの国旗が掲げられた。
内戦
1917年12月に赤軍がウクライナへ侵攻してウクライナ・ソヴィエト戦争が開始されると、アドミラール・コルニーロフはじめ南部にあった艦艇は赤軍に接収された。翌1918年2月にウクライナ中央ラーダが中央同盟国と同盟して巻き返すと、アドミラール・コルニーロフはウクライナ人民共和国軍に接収された。4月29日にはウクライナ人民共和国にかわってウクライナ国が建国され、アドミラール・コルニーロフはウクライナ国海軍に編入された。
ウクライナ国時代、ウクライナではドイツの協力のもと艦艇の建造や修繕作業が行われた。しかし、中央同盟国の降伏により後ろ盾を失ったウクライナ国ヘーチマン政権は急速にその力を失い、12月にはドィレクトーリヤ勢力によって放逐された。南部にあった艦艇は、その後南ロシア軍や赤軍に接収された。
1919年1月27日にはウクライナ人民共和国の「ウクライナ化」政策の一環として海軍艦艇にウクライナ名が与えられたが、アドミラール・コルニーロフにはウクライナ最大の愛国的詩人の名に因み、タラース・シェウチェーンコ(Тарас Шевченкоタラース・シェウチェーンコ)という名称が与えられた。
最終的に、未完成であったアドミラール・コルニーロフはロシア軍によって海外へ持ち去られることもなく、赤軍の手中に収まったまま終戦を迎えた。
最期
内戦によって国家の経済体制は大きく損なわれたが、それに加えてソヴィエト政府の指導者の何人かが海軍を嫌っていたことは、内戦で打撃を受けた艦隊の復興へマイナスの影響を及ぼした。
建造されていた8 隻のスヴェトラーナ級軽巡洋艦の内、僅か2 隻だけが同級として、またもう2 隻が大幅な改設計を行ったうえで完成されることが決定された。残る4 隻の内、バルト海方面にあった2 隻は民間用のディーゼル燃料のタンカーとして完成された。黒海方面にあった残る2 隻のスヴェトラーナ級は、完成されない見通しとなった。
一方、アドミラール・コルニーロフは1922年10月28日には取敢えず再び進水したものの完成には到らず、艦の運命は1927年に解体を以って決した。[2]
空母スターリン
一時期、この艦は空母「スターリン」となり、1937年10月4日に進水して1939年に竣工し黒海艦隊に編入されたという話が出回っていた[3]。排水量は9000トンで、搭載機は22機であるとされていた[4]。「スターリン」はイタリア潜水艦に撃沈された、との説もあった[5]。「スターリン」なる空母はもちろん実在したものではない[5]。
関連項目
脚注
- ^ a b c d e f g h i 1914年から黒海艦隊(Черноморский флот)、赤軍については1918年に黒海海軍(Морские силы Черноморского моря)、1919年に赤色黒海艦隊(Красный Черноморский флот)、1920年3月に南西戦線海・河川軍(Морские силы Юго-Западного фронта)、1920年5月に黒海・アゾフ海海軍(Морские силы Черного и Азовского морей)、1921年に黒海海軍(Морские силы Черноморского моря)に改称している。флотとМорские силыの訳し分けが困難なため、ここでの日本語訳は便宜上のもの。
- ^ いくつかの日本語雑誌では、ソ連時代にクラースナヤ・ベッサラビヤと改名されたと書かれているが、黒海艦隊の公式ページはじめロシア語の情報源からは確認が取れない。なお、クラースナヤ・ベッサラビヤ(Красная Бессарабияクラースナヤ・ビサラービヤ)はロシア語で「赤いベッサラビア」という意味で、実際に使用されていたとしても違和感のない名称ではある。
- ^ 幻のソ連戦艦建造計画、28-29ページ
- ^ 幻のソ連戦艦建造計画、29ページ
- ^ a b 幻のソ連戦艦建造計画、30ページ
参考文献
- 瀬名堯彦『幻のソ連戦艦建造計画 大型戦闘艦への試行錯誤のアプローチ』潮書房光人社、2017年、ISBN 978-4-7698-3016-0
外部リンク
- Крейсер "Адмирал Корнилов" Черноморского Флота (黒海艦隊の公式ページ)
- Класс "Светлана" (ЧФ)[リンク切れ]
- Класс "Светлана"[リンク切れ]
- Українське життя в Севастополі Мирослав МАМЧАК ІСТОРІЯ УКРАЇНСЬКОГО ФЛОТУ
- Українське життя в Севастополі Чорноморський флот в період діяльності
- Українське життя в Севастополі Бібліотека ім. Марії Фішер-Слиж Анатолій ДАНІЛОВ Український флот: біля джерел відродження
- Українське життя в Севастополі Мирослав МАМЧАК БІЛИНСЬКИЙ МИХАЙЛО ІВАНОВИЧ