コンテンツにスキップ

ジミー・ウッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年11月13日 (日) 16:50; Blanc1 (会話 | 投稿記録) による版 (cl)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ジミー・ウッド
Jimmy Woode
ソーニャ・ヘデンブラットとジミー・ウッド(右・1947年)
基本情報
出生名 James Bryant Woode
生誕 (1926-09-23) 1926年9月23日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 (2005-04-23) 2005年4月23日(78歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニュージャージー州リンデンウッド
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 ダブルベース

ジミー・ウッド[1]Jimmy Woode)ことジェームス・ブライアント・ウッドJames Bryant Woode1926年9月23日 - 2005年4月23日)は、アメリカジャズ・ベーシスト。

略歴

[編集]

ジミー・ウッドは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた。父親は、音楽の先生でピアニストだった。ボストン大学ボストン音楽院というボストンだけでなく、フィラデルフィア・アカデミーでもピアノとベースを学んだ。

彼は、フリップ・フィリップスサラ・ヴォーンエラ・フィッツジェラルドチャーリー・パーカーナット・ピアースシドニー・ベシェビリー・ホリデイジャッキー・バイアードアール・ハインズジミー・ウィザースプーンマイルス・デイヴィスらと共演した。

1955年、デューク・エリントン・オーケストラに参加し、エリントンの録音の多くに登場するようになった。アルバム『サッチ・スィート・サンダー』やエラ・フィッツジェラルドとのアルバム『シングズ・デューク・エリントン・ソングブック』(1957年)だけでなく、歴史的な1956年のニューポート・ジャズ・フェスティバルでのパフォーマンスを収めた『アット・ニューポート1956』にも参加。ヨーロッパで生活するために脱退した1960年まで、同オーケストラに在籍した。

ジミー・ウッドのナンバー「Just Give Me Time」はカローラが1966年にカバーし、アルバム『Carola & Heikki Sarmanto Trio』に収録され、2004年にフィンランドのチャートに入った。

彼は、ケニー・クラーク=フランシー・ボラン・ビッグ・バンドのオリジナル・メンバーを務め、1995年にライオネル・ハンプトンのゴールデン・メン・オブ・ジャズとツアーした。

2003年には、ドイツのジャズ・ミュージシャン/コメディアンのヘルゲ・シュナイダーとツアーし、若い世代に知られ、ウッドは2004年の長編映画『Jazzclub』に出演。

2005年4月、ニュージャージー州リンデンウッドの自宅において、78歳で死亡した。死因は胃動脈瘤の手術後の合併症であった[2]

ディスコグラフィ

[編集]

リーダー・アルバム

[編集]
  • 『ザ・カラフル・ストリングス・オブ・ジミー・ウッディ』 - The Colorful Strings of Jimmy Woode (1958年、Argo)

参加アルバム

[編集]

ケニー・クラーク

  • 『ザ・ゴールデン・エイト』 - The Golden 8 (1961年、Blue Note)

ケニー・クラーク=フランシー・ボラン・ビッグ・バンド

  • 『ジャズ・イズ・ユニヴァーサル』 - Jazz Is Universal (1962年、Atlantic)
  • 『クラーク=ボラン・ビッグ・バンド』 - Handle with Care (1963年、Atlantic)
  • Now Hear Our Meanin' (1965年、Columbia)
  • Swing, Waltz, Swing (1966年、Philips)
  • Out of the Folk Bag (1967年、Columbia)
  • 『サックス・ノー・エンド』 - Sax No End (1967年、SABA)
  • 17 Men and Their Music (1967年、Campi)
  • 『オール・スマイルズ』 - All Smiles (1969年、MPS)
  • 『モア・スマイルズ』 - More Smiles (1969年、MPS)
  • 『ラテン・カレイドスコープ』 - Latin Kaleidoscope (1969年、MPS)
  • 『フェイセス』 - Faces (1969年、MPS) ※『17 Men and Their Music』再発盤
  • 『オフ・リミッツ』 - Off Limits (1971年、Polydor)
  • 『ノーヴェンバー・ガール』 - November Girl (1975年、Black Lion) ※with カーメン・マクレエ、1970年録音
  • Clarke Boland Big Band en Concert avec Europe 1 (1992年、Tréma) ※1969年録音

テッド・カーソン

  • 『アージ』 - Urge (1966年)

エディ・ロックジョウ・デイヴィス & ジョニー・グリフィン

  • 『タフ・テナー』 - Tough Tenors Again 'n' Again (1970年、MPS)

ネイサン・デイヴィス

  • 『ザ・ヒップ・ウォーク』 - The Hip Walk (1965年、SABA)
  • Peace Treaty (1965年、SFP)
  • 『ハッピー・ガール』 - Happy Girl (1965年、SABA)

エリック・ドルフィー

  • 『ストックホルム・セッションズ』 - Stockholm Sessions (1961年、Enja)

ポール・ゴンザルヴェス

  • 『クッキン』 - Cookin' (1957年、Argo)

ジョニー・グリフィン

  • 『ナイト・レディ』 - Night Lady (1964年、Philips)

マイソロジー

  • 『ライヴ・アット・ドミシル』 - Live At »Domicile« Munich (1971年、BASF)

サヒブ・シハブ

  • Summer Dawn (1964年、Chess)
  • 『シーズ』 - Seeds (1968年、Atlantic)
  • 『コンパニオンシップ』 - Companionship (1970年、Vogue Schallplatten)

サンバーズ(Sunbirds)

  • Sunbirds (1971年、BASF)
  • Zagara (1973年、Polydor/Finger)

クラーク・テリー

  • Out on a Limb (1957年、Argo)

マル・ウォルドロン

  • 『ブラック・グローリー』 - Black Glory (1971年、Enja)
  • 『マル・ウォルドロン・プレイズ・ザ・ブルース』 - Mal Waldron Plays the Blues (1971年、Enja)
  • 『ア・タッチ・オブ・ザ・ブルース』 - A Touch of the Blues (1975年、Enja) ※1972年録音
  • 『ワン・アップマンシップ』 - One-Upmanship (1977年、Enja)

脚注

[編集]
  1. ^ ジミー・ウッディ」の表記もある。
  2. ^ Keepnews, Peter. "Jimmy Woode, Ex-Ellington Bassist, Dies at 78" The New York Times, April 30, 2005. Accessed May 30, 2013.

外部リンク

[編集]