林善河
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林善河 | |
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生誕 |
1923年1月9日 日本統治下朝鮮咸鏡南道永興郡 |
死没 | 2018年7月22日(95歳没) |
所属組織 |
大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍 |
最終階級 |
少尉(日本陸軍) 少将(韓国陸軍) |
林 善河(イム・ソナ、임선하)は大韓民国の軍人。太極武功勲章授与者。
経歴
1923年1月、咸鏡南道永興郡に生まれた。京城中央高等普通学校卒業。1944年、明治大学在学中に学徒出陣して日本軍少尉。
1946年1月15日、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10019番)[1]。1947年3月6日まで総司令部の高級副官を務めた[2]。1947年9月12日、第3連隊長[3]。1948年7月から1949年6月までアメリカ歩兵学校に留学[4]。帰国後、陸軍歩兵学校副校長に任命。
朝鮮戦争が勃発すると、混成第2師団長として漢江の防御を指揮した。1950年8月7日、第1軍団参謀長(同年9月16日まで)。1951年、第3軍団参謀長[5]。以後、第3軍団副軍団長、陸軍本部教育総監代理を歴任した。1952年7月、陸軍歩兵学校校長。同年10月、第3師団長。
1954年3月、軍事停戦委員会韓国軍首席代表。1955年7月、第1管区司令官。同年10月、第6管区司令官。
1959年4月、軍糧米やガソリンを横流しして光州に同名のホテルとセダン1台を所有するなどの蓄財をしたことから[6]、予備役編入。P・I・K保険KK韓国総支配人などを務めた。
2007年11月8日、明治大学から特別卒業証書を授与[7]。
2018年7月22日、ロサンジェルスにて死去した[8]。
叙勲
- 太極武功勲章 1個(1954年7月6日)
- 乙支武功勲章 2個
- 忠武武功勲章 2個
- 花郎武功勲章 3個
- レジオン・オブ・メリット - 1953年11月3日[9]
出典
- ^ 佐々木 1983, p. 86.
- ^ “호국전몰용사공훈록 제5권(창군기)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 592. 2021年8月11日閲覧。
- ^ 佐々木 1983, p. 194.
- ^ 佐々木 1983, p. 214.
- ^ “6・25戦争史 第8巻” (PDF) (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 460. 2016年9月6日閲覧。
- ^ “肅軍報告書” (朝鮮語). 부산일보. (1959年4月23日) 2022年11月6日閲覧。
- ^ “出陣学徒の林氏に特別卒業証書を授与”. 明治大学広報. 2015年12月24日閲覧。
- ^ “[부음] 국군 창설 주역 임선하 예비역 소장 별세 외”. 조선일보. (2018年7月23日) 2022年4月19日閲覧。
- ^ “Lim Sun Ha”. Military Times. 2016年1月1日閲覧。
参考
- 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』(第4刷)原書房、1983年。ISBN 4-562-00798-2。
- 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 下巻 漢江線から休戦まで』原書房、1977年。
- 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1
- “林善河” (韓国語). 戦争記念館. 2015年12月24日閲覧。
軍職 | ||
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先代 - |
国防司令部高級副官 初代:1946.1.14 - 1947.3.6 |
次代 黄憲親 |
先代 崔徳新 |
大韓民国陸軍歩兵学校校長 第8代:1952.8.15 - 1952.10.10 |
次代 白南権 |