第1軍団 (韓国陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
第1軍団 (韓国陸軍)
ROK I Corp.gif
創設 1950年7月5日
所属政体 大韓民国
所属組織 大韓民国国軍
大韓民国陸軍
部隊編制単位 軍団
兵科 歩兵
兵種/任務/特性 戦術指揮部隊
所在地 高陽市
愛称 広開土部隊(광개토부대)
上級単位 第3軍
主な戦歴 朝鮮戦争
テンプレートを表示

第1軍団(だい1ぐんだん、第一軍團、제1군단)は、韓国陸軍における軍団の一つで第3軍の隷下にある。

歴史[編集]

朝鮮戦争開戦3日目、朝鮮人民軍の攻撃により漢江以南へ撤退した陸軍本部は、1950年6月28日、首都における漢江防衛線構築のために始興郡韓国語版東面禿山里(現ソウル特別市衿川区禿山洞韓国語版)に始興地区戦闘司令部を設置。混成第2師団と混成第7師団、混成首都師団を金弘壹少将の指揮下に置き、7月4日までに朝鮮人民軍の侵攻を遅らせる事に成功した。翌7月5日、平沢市に移設された始興地区戦闘司令部は、第一次再編計画に基づき第1軍団となった。また隷下部隊も首都師団第1師団第2師団へと変更された。7月下旬、第1軍団は安東市に移動し、第二次再編計画によって隷下部隊は首都師団、第8師団に変更された。釜山橋頭堡の戦いでは、杞渓で朝鮮人民軍第12師団と交戦した。

1951年10月1日、第1軍団は東海岸に沿って進撃を開始、10日に元山市に駐留していた朝鮮人民軍第12師団韓国語版隷下の2個警備旅団と激突。第7艦隊および元山上陸に向かっていた英語版第10軍団英語版の協力もあり警備旅団を撃退、10月17日には咸興興南を占領した。しかし中国人民志願軍の猛攻を受け12月24日、興南から撤退した[1]

興南から撤収した第1軍団は墨湖に上陸し、東海岸沿いの防御を担当した[2]。1950年31日、中朝軍の正月攻勢(第3次攻勢)が開始され、第1軍団は朝鮮人民軍第2軍団に押され三陟付近に後退した。2月のラウンドアップ作戦、3月のリッパー作戦によって北上し、襄陽郡に達した。

1950年5月、中朝軍の五月攻勢が開始され、17日には左翼の第3軍団が崩壊したため、第1軍団は陣地戦を下げることになった[3]ジェームズ・ヴァン・フリート中将は、第3師団と第1軍団に太白山脈沿いに進出した中朝軍を東西から挟撃するように命じた[3]。第1軍団は首都師団第1連隊に大関嶺を占拠させて肩部を確保し、反撃に移った。5月末までに大浦里に進出した。

1951年8月、884高地をめぐって朝鮮人民軍第3軍団と交戦。第1軍団が保有していた105ミリ榴弾砲では人民軍の重掩蓋を撲滅できなかったため、アメリカ軍第10軍団の155ミリ榴弾砲中隊の支援を受けて高地を確保した。1951年10月、月飛山(459高地)をめぐって激しい攻防戦が繰り広げられ、最終的にこれを確保した。1952年7月、351高地争奪戦が展開された。

休戦後の1953年12月15日、第1軍に配属された。1973年7月1日に5軍団、6軍団とともに第3軍隷下となった。

愛称の「広開土部隊」(광개토부대)は2000年6月1日、対北最前線の防衛に高句麗の精神を継承し、祖国統一の主役としての役割を担う事を込めて名付けられたものである[4]

編成[編集]

  • 第1歩兵師団(前進部隊)
    • 本部大隊
    • 第11歩兵連隊
    • 第12歩兵連隊
    • 第15歩兵連隊
    • 砲兵連隊
  • 第9歩兵師団(白馬部隊)
    • 本部大隊
    • 第28歩兵連隊
    • 第29歩兵連隊
    • 第30歩兵連隊
    • 砲兵連隊
    • 戦車大隊
  • 第25歩兵師団(飛竜部隊)
    • 本部大隊
    • 第70歩兵連隊
    • 第71歩兵連隊
    • 第72歩兵連隊
    • 砲兵連隊
    • 戦車大隊
  • 第30機械化歩兵師団(必勝部隊)
    • 第90機械化歩兵旅団
    • 第91機械化歩兵旅団
    • 第92機械化歩兵旅団
    • 砲兵旅団
    • 装甲捜索大隊
  • 第72動員歩兵師団(オリンピック部隊)
    • 第200歩兵連隊
    • 第201歩兵連隊
    • 第202歩兵連隊
    • 砲兵連隊
  • 第1工兵旅団
  • 第1砲兵旅団
  • 第2装甲旅団(忠誠部隊)
  • 第11防空団
  • 第101通信団
  • 第301警備連隊
  • 第701特攻連隊
  • 第141情報大隊

歴代軍団長[編集]

備考のない限り階級は中将
氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考
1 金弘壹 1950.7.5 -
1950.9.1
貴州陸軍講武学校2期
中国陸大特別班6期
参謀学校校長 陸軍綜合学校校長 少将
2 金白一 1950.9.1 -
1951.3.28
奉天軍官学校5期
軍事英語学校韓国語版1期
副軍団長 なし 少将、航空機事故により殉職
3 白善燁 1951.4.6 -
1951.11
奉天軍官学校9期 第1師団長 第2軍団長 少将
4 李亨根 1952.1 -
1954.2
士候56期
軍事英語学校1期
陸軍本部教育総長 合同参謀会議議長韓国語版
5 金鐘五 1954.2[5] -
1954.6?
軍事英語学校1期 陸士校長 第5軍団長
6 崔徳新 1954.6? - 1956.4 中央軍校第10期
警備士官学校特別組3期
第11師団長韓国語版 予備役編入
7 白仁燁 1956.4[6] - 1956.10 幹候
軍事英語学校1期
陸軍本部企画参謀部部長 第6軍団長
8 張昌国 1956.10 -
1957.7
士候59期 陸士校長 第2軍団長
9 楊国鎮 1957.7 -
1959.7
奉天軍官学校6期 第1訓練所長[7] 第3軍団長
10 金容培 1959.7 -
1960.4
軍事英語学校
米陸軍指揮幕僚大学
企画参謀副長 第5軍団長 少将
11 崔錫 1960.4 -
1960.7
軍事英語学校 第1軍副司令官 第3軍団長
12 朴林恒 1960.7 -
1960.10
満州国軍官学校2期予科
士候56期
国防部次官補 第5軍団長 少将
13 林富澤 1960.10 -
1962.3
警備士官学校第1期 忠清道戒厳司令官 予備役編入 少将
14 金益烈 1962 陸軍予備士官学校
軍事英語学校
全羅北道地区戒厳事務所長 第2軍団長 少将
15 文亨泰 1962 日本志願兵2期
警備士官学校第2期
陸軍本部作戦参謀部長[8] 第2軍団長
16 李相喆[9] 1962 - 1963[10] 軍事英語学校 第3軍管区司令官 第2軍団長 少将
17 金相福[11] 1963 -
1965.2.26
軍事英語学校 第2軍団長
18 沈興善 1965.2.26[12] -
1966
陸士2期 参謀本部管理参謀部長 第3軍団長 少将
19 全富一 1966 - 1967 警備士官学校2期 第5軍管区司令官 第2訓練所長
20 金在命 1967[13] - 1970 陸士2期 第3軍管区司令官 合同参謀本部長
21 崔宇根韓国語版 1970 - 1972.6 陸士3期 首都防衛司令官 陸士校長
22 朴熙東 1972.6 - 1974 陸士3期 第20師団長 緊急普通軍法会議第1審判部裁判長[14]
第2軍司令官
23 楊鳳稙 1974 - 1975 陸士6期 陸軍士官学校校長
24 李熺性韓国語版 1975 - 1977 陸士8期 国防総省企画局長 国防特命検閲団長
25 黄永時韓国語版 1977 - 1979 陸士10期 陸軍三士官学校韓国語版校長 陸軍参謀次長 ハナフェ
26 金潤鎬韓国語版 1979 - 1981 陸士10期 陸軍歩兵学校韓国語版校長 第1軍司令官
27 李基百韓国語版 1981 - 1982 陸士11期 国保委運営委員長 陸軍参謀本部次長
28 白雲沢韓国語版 1982.6.5 -
1982.11.3
陸士11期
陸大
陸軍情報司令官 急逝、ハナフェ
29 朴熙道韓国語版 1982.11 -
1983.12
陸士12期
陸大
特戦司令官 第3軍団長 ハナフェ
30 崔世昌韓国語版 1982.11 -
1983.12
陸士13期
陸大
第20師団長韓国語版[15] 陸軍参謀次長 ハナフェ
31 柳承国 1983.12 - ? 陸士13期 第17師団長韓国語版 合同参謀本部長[16]
32 文英一 ? - 1987 陸士14期 陸軍本部作戦参謀部長[17] 緊急企画委員会副委員長
33 李弼燮 1987 - 1989.4 陸士16期 第9師団長[18] 陸士校長 ハナフェ
34 1989.4 - ? ?
35 金相駿 ? - 1992.12 陸士19期 首防本部30団長[19] 合同参謀作戦企画本部長[20] ハナフェ
36 趙成台 1992.12 - 1993.10 陸士20期 国防部政策企画官[21] 国防部政策室長[22]
37 金拓[23] 1993.10 - 1995.10 陸士21期 第3軍参謀長[24] 第3軍副司令官
38 朴寧益 1995.10[25] - 1998.04 陸士23期 第1軍団通常軍事裁判所長[26] 陸軍参謀次長代理
39 姜信六 1998.04 - 陸士24期 陸軍参謀次長
40 鄭重民 - 2000.10.25 陸士25期 第8師団長 軍需司令官
41 呉鉉九[27] 2000.10.25 -
2002.10.18
陸士26期 陸軍本部企画管理参謀部長[28] 航空作戦司令官
42 金善洪[29] 2002.10.18 - 2004.10.15[30] 陸士28期 ? 陸士校長
43 任忠彬 2004.10 -
2006.12.5
陸士29期 陸軍教育司令部韓国語版教育訓練省部長 陸士校長
44 章光一[31] 2006.12.5 -
2008.4.3
陸士31期 第26師団長 合同参謀本部作戦本部長
45 黄重善[32] 2008.4.3 -
2009.11.9
陸士32期 ザイトゥーン部隊 合同参謀本部作戦本部長
46 権五晟韓国語版 2009.11.9 -
2010.12
陸士34期 合同参謀本部作戦本部長 国防部政策企画官
47 崔鍾一[33] 2010.12 -
2012.5.3
陸士34期 国防情報本部長
48 モ・チョンファ 2012.5.3 -
2013.10.31
陸士36期 第31師団長 陸軍人事司令官[34]
49 厳基鶴 2013.5.31 -
2015.4.13
陸士37期 作戦企画部長
50 キム・ヨンウ 2015.4.13 - 陸士39期 第9師団長

脚注[編集]

  1. ^ “【6・25 60周年】覚えておくべき戦争史(18)「興南撤収作戦」(【6·25 60주년】기억해야 할 전쟁사(18) '흥남철수작전')”. ニューシス韓国語版. (2010年7月8日). http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?cID=&ar_id=NISX20100706_0005597896 2015年11月18日閲覧。 
  2. ^ 田中恒夫 『図説朝鮮戦争』 河出書房新社〈ふくろうの本〉、2011年、92頁。 
  3. ^ a b 田中恒夫 『図説朝鮮戦争』 河出書房新社〈ふくろうの本〉、2011年、103頁。 
  4. ^ “九里市―1軍団広開土部隊、姉妹関係締結(구리시-1군단 광개토부대, 자매결연 체결)”. 南楊州九里ニュース. (2011年6月8日). http://www.ngn24.co.kr/news/articleView.html?idxno=4950 2015年11月18日閲覧。 
  5. ^ 金鍾五/護国追慕室
  6. ^ 白仁燁/護国追慕室
  7. ^ 楊国鎮陸軍中将墓地の写真
  8. ^ “合同参謀議長 文亨泰大将(합참의장 문형태대장)”. 江南通信. (1968年8月6日). http://gangnam.joins.com/news/article/Article.aspx?total_id=1169195&sc=&mc= 2015年10月16日閲覧。 
  9. ^ 功勲録國立大田顯忠院HP
  10. ^ 李相喆陸軍少将墓地の写真
  11. ^ “第17代参謀次長 金相福中将(“17대 참모차장 김상복 중장”)”. 中央日報. (1968年2月16日). http://news.joins.com/article/1151176 2016年4月24日閲覧。 
  12. ^ 京郷新聞1965年2月26日
  13. ^ 功勲録國立大田顯忠院HP
  14. ^ “執行猶予〜懲役15年間宣告(집유∼징역 15연 선고)”. 中央日報. (1974年3月29日). http://news.joins.com/article/1372857 2015年10月16日閲覧。 
  15. ^ “三清教育担当師団長24人 - 朴世直・朴熙道・崔世昌氏など(삼청교육담당 사단장 24명-박세직·박희도·최세창씨등)”. ハンギョレ. (1988年10月4日). http://archives.kdemo.or.kr/View?pRegNo=00860270 2015年10月16日閲覧。 
  16. ^ “【訃報】柳承国前兵務庁長ほか(【부고】류승국 전 병무청장 外)”. JTBC. (2013年9月23日). http://news.jtbc.joins.com/article/ArticlePrint.aspx?news_id=NB10345427 2015年11月18日閲覧。 
  17. ^ “緊急企画委員会委員長 チェ・ムンギュさん 任命(비상기획위원회 위원장 최문규씨 임명)”. 中央日報. (1988年12月6日). http://news.joins.com/article/2292974 2015年10月16日閲覧。 
  18. ^ 16 이필섭 (대장. 전합참의장)
  19. ^ 회원 - 서창녕 홈페이지에 오신 것을 환영합니다
  20. ^ 国防部、国軍機務司令官更迭(국방부, 국군 기무사령관 경질)
  21. ^ “【月曜インタビュー】趙成台国防長官って誰?(【월요인터뷰】조성태 국방장관은 누구인가)”. 中央日報. (1999年9月13日). http://news.joins.com/article/3818545 2015年10月16日閲覧。 
  22. ^ “【将軍の戦争#9】盧泰愚、イジョング陸参総長に「改革の意志ない場合、退け」(노태우, 이종구 육참총장에게 “개혁 의지 없으면 물러나라” 정권마다 국방 개혁 시도…기득권 지키려는 장군들 저항으로 번번이 무산)”. 時事ジャーナル. (2014年3月13日). http://www.sisapress.com/news/articleView.html?idxno=62186 2015年10月16日閲覧。 
  23. ^ “【インタビュー】故金勳中尉の父 金拓予備役中将(【인터뷰】故김훈중위 아버지 김척 예비역중장)”. 東亜日報. (1998年12月9日). http://news.donga.com/List/Series_70000000000164/3/70000000000164/19981209/7402777/1 2015年10月16日閲覧。 
  24. ^ “3軍中少将​​級32人進級。補職人事(総合)(3軍 中.소장(少將)급 32명 진급.보직인사(종합))”. 聯合ニュース. (1993年10月18日). http://ruliweb.daum.net/news/view/MD19931018153400842.daum 2015年11月18日閲覧。 
  25. ^ 정부,육군의 군단장 등 89명의 장군 진급 인사 발표【박노흥】
  26. ^ 판결문 전체 - 물론 저를 처벌하기 위해 꾸민 거짓 - 군가협
  27. ^ “将星昇進 電報人事(장성 승진.전보인사)”. 毎日新聞. (2000年10月25日). http://www.imaeil.com/sub_news/news_print.php?news_id=19292&yy=1996 2015年10月16日閲覧。 
  28. ^ “国防部、陸海空軍92人秋の定期人事断行(국방부, 육-해-공군 92명 가을 정기인사 단행)”. 東亜日報. (1996年10月28日). http://www.donga.com/news/print.php?n=200010250282 2015年10月16日閲覧。 
  29. ^ 護国英霊遷都慰霊大奉行 7月3日仏教徒将兵など1千人参加
  30. ^ “国防部、軍将官級進級電報挨拶(軍장성 정기인사…20명 진급-보직 변경)”. 東亜日報. (2004年10月15日). http://news.donga.com/view.php?id=Print_Donga%7C3%7C20041015%7C8117445%7C1 2015年11月18日閲覧。 
  31. ^ “南北軍事境界線通行妥結(남북 군사분계선 통행 타결)”. 中央日報. (2003年1月28日). http://nk.joins.com/news/view.asp?aid=2383362 2015年11月8日閲覧。 
  32. ^ “軍将星定期人事...20人進級 - 補職変更(軍장성 정기인사…20명 진급-보직 변경)”. 東亜日報. (2006年4月22日). http://news.donga.com/View?gid=8298762&date=20060422 2015年11月18日閲覧。 
  33. ^ “ソヒ - 濟馬部隊 3陣660人、21日からイラク南部へ出発(서희-제마부대 3진 660명 21일부터 이라크남부 출발)”. 東亜日報. (2004年4月19日). http://news.donga.com/View?gid=8052560&date=20040419 2015年10月16日閲覧。 
  34. ^ “鶴山出身モ・チョンファ中将、陸軍人事司令官に任命(학산출신 모종화 중장, 육군인사사령관 임명)”. 霊岩新聞. (2013年11月1日). http://www.yasinmoon.com/news/articleView.html?idxno=20305 2015年10月16日閲覧。