龍口明神社
龍口明神社 | |
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龍口明神社 | |
所在地 | 神奈川県鎌倉市腰越1548番地4 |
位置 | 北緯35度19分5.5秒 東経139度30分25.3秒 / 北緯35.318194度 東経139.507028度座標: 北緯35度19分5.5秒 東経139度30分25.3秒 / 北緯35.318194度 東経139.507028度 |
主祭神 | 玉依姫命・五頭龍大神 |
例祭 | 例大祭(10月第1土曜・日曜日) |
主な神事 | 龍神祭(4月)、玉依祭(10月第3日曜日) |
龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)は神奈川県鎌倉市腰越にある神社。 創建は538年と伝わり、鎌倉市に現存する神社では一番古い。(552年(欽明天皇13年)創建とする説もある[1])
由緒
玉依姫命は神武天皇の母、海神族の祖先で、龍神として崇められたと伝えられる。もう一つの祭神である五頭龍大神は、江の島の弁財天に悪業を戒められた龍であると伝えられ、江の島弁財天とは深い関係にある。
この龍が改心し岩山と化した後、津村(腰越および隣接の現鎌倉市津一帯)の村人達が、龍の口にあたる岩上(龍口)に社を築いて白髭明神と称し、村の鎮守としたことが、龍口明神社の発祥とも伝えられている。
また、養老7年(723年)、江の島岩窟中で修行中の泰澄・慈覚両大師が、夢に現れた神々を彫り、弁財天1体を江の島弁財天の別当寺の岩本院に、2体を白髭明神に納めたものが、ご神体の玉依姫命(長さ約15cm)と五頭龍(長さ約30cm)の木像である。この時に、龍口明神社と名付けたとされる。
弘安5年(1282年)に社前で一遍が念仏勧化を行った。その様子が国宝『一遍聖絵』にえがかれている。
遷宮
もともとは龍口(たつのくち)の龍口寺西隣に建っていたが、安政2年(1773年)に龍口が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入されて以降、境内地のみ津村の飛び地として扱われた。鎌倉時代には刑場として使用された時期もあり、氏子達は祟りを恐れ、長年移転を拒んでいたという。
大正12年(1923年)、関東大震災により全壊、昭和8年(1933年)に龍口の在のままで改築したが、 昭和53年(1978年)に、氏子百余名の要望により、江の島を遠望し、龍の胴にあたる現在の地へと移転した。
なお移転後の現在も、旧境内は鎌倉市津1番地として飛び地のまま残っており、拝殿・鳥居なども、移転前の姿で残されている。
祭祀
毎年10月上旬の土日に例祭が行われる。例祭では神輿を江ノ島まで運ぶ「神輿渡御」という行事が行われる。また60年に1度大祭が行われ、その際は五頭龍像を鎮座した神輿を渡御させる。
境内
拝殿のほか、隣接する神社の駐車場に経六稲荷の社があり、その付近に石塔が6基(うち4基は庚申塔)が建つ。これらの石塔はもともと神奈川県道304号腰越大船線沿いに建っていたものだが、道路拡張に伴い移転してきたものである。
アクセス
湘南モノレール西鎌倉駅より徒歩約10分。または、西鎌倉駅前の「津村」から、江ノ電バス新鎌倉山循環(コミュニティバス)に乗車、「龍口明神社前」で下車。新鎌倉山住宅地の急傾斜の途中にある。
脚注
- ^ 新編相模国風土記稿 1932, p. 182.
参考文献
- 「深澤庄 龍口明神社」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之105村里部鎌倉郡巻之37、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/98。