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吉岡賢

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吉岡 賢(よしおか まさる、1957年12月5日 - )は、日本実業家広島県尾道市出身。血液型はA型。なお吉岡の「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である[1]。また、「賢」は「けん」ではなく「まさる」と読む。

経歴

北海道大学工学部卒業後、日本ビクター株式会社に入社。グループ公募によりビクター音楽産業株式会社(現在のビクターエンタテインメント株式会社)に音楽ディレクターとして移籍する。

1983年、ビクター音楽産業がインタラクティブ事業へ参入、ゲーム部門の発足と同時に転属となる。『女子大生交際図巻』や『ディレクター物語』など、独自の体験に基づくパソコンゲームを手がける。また、日本ファルコムの『イースI』、『イースII』をファミリーコンピュータへ移植しヒットさせている。押井守が企画・原作及び監督を担当した『サンサーラ・ナーガ』では、制作を統括。

ビクターがPCエンジンへ初参入する作品となった『魔境伝説』を皮切りに、CD-ROM2タイトルの『鏡の国のレジェンド』『ウルトラボックス』『マジカル・サウルス・ツアー』を世に送り出す。『マジカル・サウルス・ツアー』は自身が幼少期より愛する恐竜のCD-ROM図鑑で、150種類以上を収録。この作品ではグラフィックのリアリティを追求したものの、ドット絵による表現の限界を痛感する。折しもプレイステーション発売前夜であり、3DCG時代の到来を確信した吉岡はビクター音楽産業を退職し、株式会社ビジュアルサイエンス研究所 (VSL) に転職。1996年、VSLのCG技術を活用したゲーム開発会社としてポリゴンマジック株式会社が設立されることになり、2006年まで同社の代表取締役社長を務める。2007年から、タボット株式会社の代表取締役社長として活動を行っている。

脚注

  1. ^ Unicodeでは U+20BB7、「𠮷」。