1989年アリアナ・アフガン航空An-26不時着事故

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アリアナ・アフガン航空 YA-BAK
同型機のAn-26
事故の概要
日付 1989年6月18日
概要 後部ドアを開けたことに伴う操縦不能
現場 イランの旗 イラン スィースターン・バルーチェスターン州 ザーボル
乗客数 35
乗員数 4
負傷者数 33
死者数 6
生存者数 33
機種 アントノフ An-26
運用者 アフガニスタン共和国の旗 アリアナ・アフガン航空
機体記号 YA-BAK
出発地 アフガニスタン共和国の旗 カブール国際空港
目的地 アフガニスタン共和国の旗 ザランジ空港英語版
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1989年アリアナ・アフガン航空An-26不時着事故は、1989年6月18日イランスィースターン・バルーチェスターン州で発生した航空事故である。カブール国際空港からザランジ空港英語版へ向かっていたアリアナ・アフガン航空の国内線(アントノフ An-26B)が不時着し、乗員乗客39人中6人が死亡した[1]

事故の経緯[編集]

YA-BAKはカブール国際空港からザランジ空港英語版へ向かう国内定期旅客便として運航されていた[1]。飛行中、副操縦士と他の乗員らが口論となった[2]。その際、止めに入ったスカイマーシャルが副操縦士の肩へ向けて発砲した[2][3]。さらに混乱したスカイマーシャルがランプドアを開けたため、同機は操縦不能に陥り、イラン領内へ侵入した[2][3]AFT13時30分頃、An-26はスィースターン・バルーチェスターン州ザーボル付近の砂丘に不時着し[3]、横転した[4]

不時着によって乗客4人が即死し、2人が病院への搬送後に死亡した[5][6]。報告によれば、死者には女性1人と子供3人が含まれている[7]

事故原因[編集]

イランのアリレザ・モアエリペルシア語版副首相(Alireza Moayeri)が調査を任命され、現地へ派遣された[7][8]。当初は乗客の話から、ハイジャック犯2人が同機を乗っ取ろうとし、パイロットと格闘したことが原因と推定された[9][10]。また、12人が人質に取られたとの報告もされたが[4][7][11]、イラン首相府はこれを否定した[5]

モアエリ副首相は会見でスカイマーシャルが副操縦士へ発砲し、さらにランプドアを開けたことが事故原因だと発表した[2][3]。副操縦士ら4人の乗員間には以前から対立があり、極度の緊張状態だったことからスカイマーシャルが発砲してしまったと見られている[2][3]

脚注[編集]

  1. ^ a b Accident description YA-BAK”. Aviation Safety Network. 2022年6月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「コックピットで乗務員同士がけんか」『毎日新聞』1989年6月20日夕刊14頁
  3. ^ a b c d e 「アフガン旅客機不時着事故、実は乗員の内輪もめ」『朝日新聞』1989年6月20日夕刊18頁
  4. ^ a b AFGHAN PLANE, HIJACKED TO IRAN, CRASHES”. ワシントン・ポスト. 2022年6月18日閲覧。
  5. ^ a b 「イラン側、人質説を否定」『朝日新聞』1989年6月20日朝刊31頁
  6. ^ FIGHT CAUSED CRASH OF AFGHAN AIRLINER”. Deseret News. 2022年6月18日閲覧。
  7. ^ a b c Gunmen Force Afghan Airliner to Iran”. ロサンゼルス・タイムズ. 2022年6月18日閲覧。
  8. ^ 「アフガン機乗っ取られイラン領に墜落」『読売新聞』1989年6月19日朝刊5頁
  9. ^ 「アフガン機乗っ取られる」『毎日新聞』1989年6月19日朝刊30頁
  10. ^ 「アフガン機、乗っ取られて墜落」『朝日新聞』1989年6月19日朝刊1頁
  11. ^ 「アフガン機は砂漠に不時着」『朝日新聞』1989年6月19日夕刊16頁