1976年のエチオピア

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1976年のエチオピア(1976ねんのエチオピア)では、1976年エチオピアに関する出来事について記述する。

概要[編集]

1974年エチオピア革命の後、1975年に正式に帝政が廃止され、急速に国内の組織化・社会主義化が実行される中、臨時軍事行政評議会の実権が副議長であるメンギスツ・ハイレ・マリアム中佐に集中していった。非常事態下のエリトリア州では前年に合流したエリトリア解放戦線(ELF)とエリトリア人民解放戦線(EPLF)が再び決裂し、エチオピアに対する独立戦争を展開すると同時に、エリトリア州内でも対立を深めていった。

できごと[編集]

1月[編集]

  • 1月6日 - 土地及び農業生産に対する課税を布告[1]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i ラウル・バルデス・ビボ『エチオピアの知られざる革命』1978年、恒文社、pp203-204。
  2. ^ Captain Gary D. Payton,"The Soviet-Ethiopian Liaison"(英語),2011-05-07閲覧。
  3. ^ Jifar Habte B(IAAF)(英語),2011-05-07閲覧。

関連項目[編集]