齋藤清策
齋藤清策 | |
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生誕 | 1920年 富山県東礪波郡庄川町 |
死没 | 2009年7月7日 富山県高岡市 |
国籍 | ![]() |
著名な実績 | 日本画家 |
齋藤 清策(さいとう せいさく、大正9年(1920年) - 平成21年(2009年)7月7日)は、昭和から平成時代にかけての日本画家。日展審査員、富山県美術連合会会長を歴任。
経歴[編集]
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富山県庄川町に生まれる。1954年第10回日展に「朝秋」で初入選、以後同展を舞台に活躍。1956年京都青甲社に入塾。翌年同社展に出品、受賞。1960年西山英雄に師事。翌年京都市展に出品、受賞。1976年、富山県文化功労賞を受賞、1990年に勲五等瑞宝章を受章。1991年「山路」、1993年「群」で日展特選。1996年に日展会員、日展審査員。2009年7月7日没[1]。
作品[編集]
代表作[編集]
- 「朝秋」
- 「叢」(1977年)
- 「池」
- 「堤の夕」
- 「花と鳥」
- 「朝」
- 「晩秋」[2]
- 「瑞泉寺山門」
- 「剱岳」
- 「山の唄」
- 「山路」
- 「菊祭り」
- 「群」
- 「同居」
- 「華」[3]
- 「庭華」
- 「崩れゆく山」
- 「展望」
- 「山峡」
朴土社展出品作品[編集]
(1958年 - 1969年)
- 「高原の春」
- 「孔雀」
- 「叢」
- 「草苑」
- 「熱環」
- 「夏花」
- 「鹿園」
- 「水芭蕉」
- 「岳雲」
- 「岳園」
- 「樹影」
- 「田苑」
- 「叢」
- 「樹苑」
- 「花」
- 「游」
(1970年 - 1988年)
- 「椿」
- 「岳鳥」
- 「啼」
- 「萠」
- 「高原」
- 「暮色」
- 「群鳥」
- 「岩」
- 「杜」
- 「丘路」
- 「叢」
- 「雑」
- 「門」
- 「山麓」
- 「激」
- 「赤松」
- 「野菊」
- 「笹」
- 「渓」
- 「残雪村」
- 「原生林」
- 「芒」
- 「樹間」
- 「森の唄」
- 「山里」
(1989年 - 2009年)
- 「晩秋」
- 「山秋」
- 「五月」
- 「待春」
- 「山路」
- 「岳苑」
- 「菊祭」
- 「五月」
- 「剣八峰」
- 「御前剣」
- 「高原の鳥」
- 「残雪の詩」
- 「庭」
- 「想い出の山」
- 「同居の庭」[4]