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高濱雅己

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかはま まさみ

高濱雅己
生誕 1936年1月2日
日本の旗 日本宮崎県延岡市[1]
死没 1985年8月12日
日本の旗 日本群馬県多野郡上野村 御巣鷹の尾根
国籍 日本の旗 日本
職業 日本航空機長(運行部門指導教官)
著名な実績 ポラリス賞
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高濱 雅己(たかはま まさみ、1936年1月2日 - 1985年8月12日)は、日本のパイロット

1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故機長として搭乗していた。乗客の大半を救うことができなかったものの、その機体制御技術の高さと最後まで諦めない意志が称えられ、民間航空で最高の栄誉であるポラリス賞をこの事故で運命を共にした副操縦士の佐々木祐と航空機関士の福田博とともに受賞している。

来歴

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宮崎県延岡市出身。

京都にある高校を中退し、1954年海上自衛隊に入隊する。

1966年に自衛隊の「割愛制度[注 1]」により日本航空に入社した。

1977年には指導担当の機長に昇進するなど順調に操縦実績を積み重ねていた。

1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故で事故機JA8119の機長を務め、殉職した(満49歳没)。飛行時間は12,423時間41分(うちB747、4,842時間22分)[2]

遺体は原型をとどめないほどまで損壊し、見つかったのは上顎と5本の歯のみで、歯の治療痕の一致で判明したという。偶然にも村長として現場を指揮した黒沢丈夫海軍少佐は高濱の教官である杉野計雄3等海佐(海軍飛行兵曹長)の佐世保時代の上官であった。

人物

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妻は日本航空の元客室乗務員で、一男二女の父であった。

阪神タイガースのファンだったという[注 2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 自衛隊から多くのパイロットが民間航空会社へ転職するのを防ぐために、自衛隊から民間航空会社へ転職するパイロットの数を調整する制度である。
  2. ^ 123便には阪神球団社長の中埜肇と親会社の阪神電気鉄道の常務取締役の石田一雄が搭乗していた。

出典

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