高千穂鉄道TR-400形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高千穂鉄道TR-400形気動車
TR-400形TR-402 「天鈿女(あまのうずめ)号」
2006年6月
基本情報
運用者 高千穂鉄道
製造所 新潟トランシス[1]
製造初年 2003年[1]
製造数 2両[2]
消滅 2008年[3](JR九州に譲渡)
主要諸元
軌間 1,067[4] mm
最高速度 95[5] km/h
車両定員 118名
(座席52名)[5]
自重 30.5 t[5]
全長 18,500[4] mm
車体長 18,000[4] mm
全幅 2,828[4] mm
車体幅 2,700[4] mm
全高 3,980[4] mm
車体高 3,620[4] mm
床面高さ 1,240 mm[4]
車体 普通鋼
台車 枕ばね:ボルスタレス空気ばね
軸箱支持:円錐積層ゴム式
NP131D/T-3[5]
車輪径 860 mm[4]
固定軸距 2,100 mm[4]
台車中心間距離 13,000 mm[4]
機関 新潟鐵工所DMF13HZディーゼルエンジン[5]
機関出力 242.7 kW (330 PS) / 2,000 rpm[5]
変速機 新潟コンバーター液体式(TACN-22-1628) [4][5]
変速段 変速1段・直結2段[4]
歯車比 2.94[4]
制動装置 機関排気ブレーキ併用DE1A[6][7]
テンプレートを表示

高千穂鉄道TR-400形気動車 (たかちほてつどうTR-400がたきどうしゃ)は、2003年平成15年)に2両が製造され、2005年(平成17年)の営業休止まで使用された高千穂鉄道トロッコ型気動車である[8][9]。高千穂鉄道廃止後、九州旅客鉄道(JR九州)に譲渡され、改造の上キハ125形400番台となった[10]

概要[編集]

1989年(平成元年)4月に日本国有鉄道(国鉄)の第2次特定地方交通線だった九州旅客鉄道(JR九州)高千穂線第三セクターに転換して開業した高千穂鉄道[11]では、1996年(平成8年)からトロッコ車用の導入検討を進め、2003年(平成15年)に2両のトロッコ型気動車を導入した[6]。車体は新潟鐵工所が納入した松浦鉄道MR-500形南阿蘇鉄道MT-3010形などのレトロ調気動車をベース[12]とし、窓を上下方向に拡大したうえで着脱式としている[6]。エンジンは新潟鐵工所DMF13HZディーゼルエンジンを242.7 kW (330 PS)に設定して使用した[5]。全車正面貫通式、両運転台、トイレなし、通路を挟んで両側にテーブル付き4人掛けボックスシートを6組ずつ備え、ドア付近にはテーブル付2人掛け座席が2か所にある[4]。TR-401の車体は黄色に塗装されて「手力男(たぢからお)」の愛称が、TR-402は色に塗装されて「天鈿女(あまのうずめ)」の愛称がつけられた[13]。「トロッコ神楽号」として2003年(平成15年)3月から運転を開始した[13]が、2005年(平成17年)9月の台風による災害で高千穂鉄道全線が不通となり、復旧されることのないまま2008年(平成20年)12月までに全線が順次廃止された[9]。廃線後2両ともJR九州に売却、改造の上キハ125形に編入され、特急「海幸山幸」として2009年(平成21年)10月から運転されている[10][14]

車体[編集]

黄色に塗装されたTR-401手力男(たぢからお)号

新潟鐵工所製のレトロ調気動車をベースとし、車体長は18 mとなった[6]。両運転台構造で、前面は貫通式である[4]乗務員室は左隅構造で、乗務員用扉が片側1箇所に設けられた[4]。910 mm幅の引き戸の客用扉が片側2か所、運転台直後と反対側車端にある[4]。扉間の窓配置は左右で異なり、高千穂駅側に向かって左側は中央部に2,950 mm幅の3連式窓2箇所、その両側に1,960 mm幅の2連式窓を、反対側は高千穂駅寄りに2,950 mm幅の3連式窓3箇所、反対側客用扉付近に915 mm幅の窓がある[4]。窓は取り外し式とされた[6]。戸袋窓はない[4]。TR-401の外部塗装は黄色、TR-402は緑である[4]。屋根はモニター風の2段屋根で、モニター内に冷房装置が収められている[4]

車内は通路を挟んで両側にテーブル付き4人掛けボックスシートを6組ずつ備え、ドア付近にはテーブル付2人掛け座席が2か所にある[4]。テーブルの高さと、窓側の座席背もたれの高さは窓下辺にあわせられた[6]。開放感を出すため、つり革、網棚は設置されなかった[6]延岡駅寄運転台付近に車椅子スペースを備え[6]、ワンマン運転対応機器も装備された[4]。また、テーブルと座席には高千穂町内で生産された欅の木が使用されていた。導入当初は木製の座席に直接座る仕様であったが、のちに座布団が装備された。

走行装置[編集]

エンジンは、新潟鐵工所製DMF13HZディーゼルエンジンを1基搭載、定格出力242.7 kW(330 PS) / 2,000 rpmで使用された[5]。動力は新潟コンバーター製TACN-22-1628液体変速機を介して2軸駆動の台車に伝達される[6][5]。台車はボルスタレス空気ばね、積層ゴム式NP131D/T-3が採用された[5]制動装置機関排気ブレーキ併用のDE1A自動空気ブレーキが採用された[6][7]

空調装置[編集]

暖房装置はエンジン排熱を利用した温風式である。冷房装置は能力18.0 kW(15,500 kcal/h)のデンソー製機関直結式 2台が設置された[5]

車歴[編集]

TR-400形車歴
形式 車両番号[2] 製造[1] 愛称[13] JR入籍[15] JR車両番号[15]
TR-400 401 2003年3月 手力男 2009年9月 キハ125-401
TR-400 402 2003年3月 天鈿女 2009年9月 キハ125-402

運用[編集]

JR九州に売却後の姿

2003年(平成15年)3月21日から「トロッコ神楽号」として営業運転を開始したが、2005年(平成17年)9月6日に九州地方を襲った台風14号の影響で橋梁2箇所が流出するなど甚大な被害を受け列車運行を休止、部分復旧なども模索された[11]が実現せず、2008年(平成20年)12月までに全線が廃止された[16]

運行休止時には2両とも高千穂駅にあった[16]が、高千穂鉄道からの打診によりJR九州への売却が決定[17]、2009年(平成21年)2月に陸送で搬出され、JR九州小倉工場に入場した[18]

JRでは日南線特急「海幸山幸」で使用するための改造が行われ[10]2009年(平成21年)10月10日から営業運転を行っている[14]

出典[編集]

参考文献[編集]

書籍[編集]

  • 寺田 祐一『私鉄気動車30年』JTBパブリッシング、2006年。ISBN 4-533-06532-5 

雑誌記事[編集]

  • 鉄道ピクトリアル』通巻738号「鉄道車両年鑑2003年版」(2003年10月・電気車研究会
    • 岸上 明彦「2002年度民鉄車両動向」 pp. 109-130
    • 高千穂鉄道(株)運輸課 都甲 敏明「高千穂鉄道 TR-400形」 pp. 178
    • 「民鉄車両諸元表」 pp. 180-183
    • 「各社別新造・改造・廃車一覧」 pp. 208-219
  • 『レイルマガジン』通巻250号(2004年7月・ネコ・パブリッシング)
    • 寺田 祐一「私鉄・三セク気動車 141形式・585輌の今!」 pp. 4-50
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻795号「鉄道車両年鑑2007年版」(2007年10月・電気車研究会)
    • 岸上 明彦「2006年度民鉄車両動向」 pp. 116-141
  • 『鉄道ファン』通巻577号(2009年5月・交友社)
    • 斎藤 幹雄「高千穂鉄道 車両搬出作業実施」 pp. 149-151
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻825号「鉄道車両年鑑2009年版」(2009年10月・電気車研究会)
    • 岸上 明彦「2008年度民鉄車両動向」 pp. 108-134
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻840号「鉄道車両年鑑2010年版」(2010年10月・電気車研究会)
    • 鉄道ピクトリアル編集部「2009年度JR車両動向」 pp. 44-66
    • 鉄道ピクトリアル編集部「JR九州 キハ125形400番代」 pp. 104-105
    • 鉄道ピクトリアル編集部「JR車両諸元表」 pp. 113-115
    • 鉄道ピクトリアル編集部「2009年度JR車両動向」 pp. 190-206