阿波岐原町

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阿波岐原町
みそぎ池(御池)
みそぎ池(御池)
阿波岐原町の位置(宮崎県内)
阿波岐原町
阿波岐原町
阿波岐原町の位置
北緯31度56分32.8秒 東経131度27分01.9秒 / 北緯31.942444度 東経131.450528度 / 31.942444; 131.450528
日本の旗 日本
都道府県 宮崎県
市町村 宮崎市
地区 檍地域自治区
人口
2023年令和5年)9月1日現在)[1]
 • 合計 3,917人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
880-0835 [2]
市外局番 0985[3]
ナンバープレート 宮崎

阿波岐原町(あわきがはらちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0835[2]

地理[編集]

宮崎市の東部、檍地域自治区に属する。日向灘に面した海岸線に沿い松林およびシーガイア関連施設が置かれている。防風林より西側は耕作地が広がる。町域の北部には江田神社があり、その横にある「市民の森」内にある「みそぎ池(御池)」は、イザナギノミコト黄泉から戻った際に「みそぎ」を行った場所とされる[4]祓詞において「かけまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓へたまひし時に」と奏上されるように、の発祥の地としても知られる。

北を大字塩路、北東を山崎町、南を吉村町新別府町、西を村角町大島町波島2丁目と接する。波島の成立に伴い、波島2丁目の北に阿波岐原町の飛び地がある。

地名の由来[編集]

古事記』『日本書紀』には、イザナギノミコト黄泉から帰還してを行ったという記述があり『古事記』では「阿波岐原」、『日本書紀』では「檍原」と記すが、この「阿波岐原」ないし「檍原」が当地であると伝えられている。阿波岐原、檍原は同じ意味で「アワ、アオ」は湿地帯を、原(ハラ)は広い土地を意味する[5]。現在の阿波岐原町は大淀川左岸よりかなり北に位置するが、戦前は「小戸の橘」と同様に漠然と大淀川河口付近左岸一帯をさしていた。宮崎では一般に原は「バル」と発音し広い台地を意味するが、この阿波岐原はなぜか「ハラ」であり、広い低地帯である[5]

「みそぎ池」周辺はかつては入江であったが、後に開墾されて「江田」と称されたという[6]。1933年に大字江田の全域が阿波岐原町に改称した。

歴史[編集]

  • 1932年4月20日 - 檍村が宮崎市に編入。宮崎市大字江田が成立。
  • 1933年 - 大字江田が阿波岐原町に改称。
  • 1978年 - 阿波岐原町、大島町の一部をもって波島1丁目 - 2丁目が成立。

世帯数と人口[編集]

2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
阿波岐原町 1884世帯 3917人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

町名 小学校 中学校
阿波岐原町の一部 宮崎市立檍北小学校 宮崎市立檍中学校
阿波岐原町の一部 宮崎市立宮崎東小学校 宮崎市立東大宮中学校

交通[編集]

江田神社拝殿

バス[編集]

宮交グループ[8]の運営するバスが営業している。

道路[編集]

施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数”. 宮崎市. 2023年9月22日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2023年9月22日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2023年9月22日閲覧。
  4. ^ 詳細情報|みやざきの神話・伝説・伝承 (神話のふるさとみやざき)”. www.miyazaki-archive.jp. 2023年9月23日閲覧。
  5. ^ a b 大淀川流域 地名いわれ事典”. www.qsr.mlit.go.jp. 国土交通省宮崎河川国道事務所. 2023年9月22日閲覧。
  6. ^ 境内説明板。
  7. ^ 宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則”. 宮崎市. 2023年9月22日閲覧。
  8. ^ 宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/

関連項目[編集]

外部リンク[編集]