コンテンツにスキップ

野津鎮之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野津鎮之助

野津 鎮之助旧字体野津 鎭之助、のづ しずのすけ、1883年明治16年)7月8日[1] - 1942年昭和17年)11月14日[1][2])は、日本の陸軍軍人政治家華族。陸軍砲兵少佐貴族院侯爵議員

経歴

[編集]

陸軍将校・野津道貫、登女子夫妻の三男として生まれる[1][3][注 1]。兄二人が先立っていたため父の死去に伴い1908年11月10日、侯爵を襲爵して貴族院侯爵議員に就任[2][4]火曜会に所属して死去するまで在任した[2]

1903年11月30日[5]陸軍士官学校(15期[3])を卒業し、1904年2月12日、陸軍砲兵少尉に任官[2][5]。同年、兄鎮雄とともに日露戦争に従軍[6][要出典]。1905年6月30日中尉、1913年8月31日大尉に昇進[7][8]。近衛野戦砲兵連隊補充大隊副官[7]陸軍野戦砲兵射撃学校教官兼馬術教官、陸軍士官学校教官兼馬術教官、陸軍士官学校本科教官、陸軍将校生徒試験常置委員[8]などを歴任[2]1920年、陸軍砲兵少佐に進み、1923年予備役に編入された[9]

栄典

[編集]

親族

[編集]
妻のヒロ子

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『人事興信録』第13版下、ノ18頁では三男。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』下巻、344-345頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』21頁。
  3. ^ a b 『日本陸海軍総合事典』第2版、122頁「野津道貫」。
  4. ^ 『官報』第7615号、明治41年11月12日。
  5. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』194頁。
  6. ^ 『元帥上原勇作伝 下巻』457-459頁。. 元帥上原勇作伝記刊行會. (1937年) 
  7. ^ a b 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正3年7月1日調』陸軍省、1914年、907頁。NDLJP:930891/461 
  8. ^ a b 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正9年9月1日調』陸軍省、1920年、1051頁。NDLJP:930893/539 
  9. ^ a b c d e 『人事興信録』第13版下、ノ18頁。
  10. ^ 『官報』第6228号「叙任及辞令」1904年4月8日。
  11. ^ 『官報』第6648号「叙任及辞令」1905年8月26日。
  12. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  13. ^ 『官報』第3790号「叙任及辞令」1925年4月14日
  14. ^ 『官報』第4031号「叙任及辞令」1940年6月15日。
  15. ^ 田中一馬『人事興信録』15版下 (人事興信所, 1948)

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録』第13版下、1941年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 『元帥上原勇作伝』元帥上原勇作伝記刊行會、1937年。
  • 野津家墓誌
日本の爵位
先代
野津道貫
侯爵
野津(道貫)家第2代
1908年 - 1942年
次代
野津高光