コンテンツにスキップ

那須神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
那須神社

楼門(国の重要文化財)
所在地 栃木県大田原市南金丸1628
位置 北緯36度51分50.9秒 東経140度5分16.3秒 / 北緯36.864139度 東経140.087861度 / 36.864139; 140.087861 (那須神社)座標: 北緯36度51分50.9秒 東経140度5分16.3秒 / 北緯36.864139度 東経140.087861度 / 36.864139; 140.087861 (那須神社)
主祭神 応神天皇
社格等 旧郷社
本殿の様式 三間社流造
地図
那須神社の位置(栃木県内)
那須神社
那須神社
テンプレートを表示

那須神社(なすじんじゃ)は、栃木県大田原市南金丸にある神社。旧社格は郷社[1]。本殿と楼門は文化財保護法に基づく重要文化財で、境内全体も名勝に指定されている[2]。福原八幡宮(同市内)、宮原八幡宮(那須烏山市)とともに那須郡の「惣社三八幡」と呼ばれた[3]。別名は金丸八幡宮、余瀬八幡宮[1]。

那須与一が屋島の戦いの折、扇の的を射落とす際に心に念じた神社とされ、与一が奉納した太刀が社宝となっているなど、那須与一ゆかりの神社として知られる[4]。

祭神

[編集]

歴史

[編集]

仁徳天皇の時代(4世紀)、下野国造の奈良別命(ならわけのみこと)が祠を建立したことに始まると伝わる[1]。

奥州に至る街道近くに所在したこともあり、古代から中世にかけて武将による崇敬が伝承されている[1]。延暦年間、坂上田村麻呂が征夷の際、この地が森々として奇樹があるのを眺めていると、小さな祠があったので、ここに応神天皇を勧請して金丸八幡宮と改め、戦勝を祈願した[5]。また、永承6年(1051年)、源頼義と源義家が前九年の役に際し立ち寄り戦勝を祈願、その後戦勝した頼義が神殿を建立させ、神領50石を寄進したとされる[1]。また、後三年の役の翌年寛治2年(1088年)には、源義家が先例にならって再び立ち寄って戦勝を祈願し、上洛の帰途、神門及び宮殿を建立したという[1]。

その後、源平内乱に際して那須与一が戦勝を祈願し、戦後報恩として文治3年(1187年)に社殿を造営した[3]。屋島の戦いにおいて那須与一が扇の的を射落とす際、「南無八幡大菩薩」と心に念じた神社とも伝わる[6]。以後は那須氏の氏神となった[1]。那須氏の没落後、戦国時代以降は黒羽城主大関氏の代々の氏神として信仰された[1][6]。

社記によれば、戦国時代の天正5年(1577年)に大関氏により本殿や楼門などが再興されたと伝わってきた[5][2][6]が、2011年(平成23年)度の調査で、本殿は寛永18年(1641年)に建てられたものと判明した[7]。楼門は翌寛永19年(1642年)の造営とされ、三間一戸の入母屋造で、豪華絢爛な安土桃山時代の影響を受けているとされる[7]。

明治6年(1873年)に現在の那須神社に改称した[8]。

経年劣化が激しいことから、大田原市は10年ほどかけて、本殿や楼門を補修すると共に、名勝として境内全体の保存管理も進め、自然災害や火災、盗難対策なども整備していく方針を立てている[2]。

境内

[編集]
那須神社の参道入口

那須神社の境内林には樹齢約200年のスギをはじめとした大木があり、栃木県の金丸緑地環境保全地域の一部となっている[9]。松尾芭蕉は「おくのほそ道」の行程で黒羽に滞在した際、那須神社の境内にも足を運んだという[7]。約200メートルの参道の両側には約260本の杉が立ち並ぶ[7]。また、境内には奈良別命が黄金の玉を埋めたという「金丸塚」がある[5]。

文化財

[編集]

重要文化財(国指定)

[編集]
  • 那須神社 本殿(1棟)、楼門(1棟)、銅棟札(1枚)、石燈籠(2基)、手水舟(1基)[10]
    • 本殿(附 銅棟札1枚、石燈籠2基、手水舟1基) - 江戸時代前期(1641年)の建立。三間社流造、瓦棒銅板葺。2014年(平成26年)1月27日指定[11]。
    • 楼門 - 江戸時代前期(1642年)の建立。三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺。2014年(平成26年)1月27日指定[12]。

国の名勝

[編集]

栃木県指定文化財

[編集]
  • 有形文化財
    • 銅製鰐口 文和(工芸品) - 那須与一伝承館寄託。1957年(昭和32年)8月30日指定[14]
    • 銅製鰐口 天正 - 那須与一伝承館寄託。1957年(昭和32年)8月30日指定[15]
    • 太刀 伝弘綱 - 那須与一伝承館寄託。1957年(昭和32年)8月30日指定[16]、那須与一が屋島の戦いののち、金丸八幡宮に奉納した太刀[17]。
    • 太刀 銘 一 - 那須与一伝承館寄託。1957年(昭和32年)8月30日指定、白河結城氏の白河義親が奉納した太刀で、義親が鷹狩をしていたときに飛び出してきた牛を両断し、「牛切丸」と名付けられたとされる[18]。

大田原市指定文化財

[編集]
  • 有形文化財
    • 甲冑(紺糸威)(工芸品) - 1964年(昭和39年)5月27日指定、黒羽藩主大関増興が着用し、最後の藩主大関増勤が氏神である那須神社に奉納した[19]。
  • 無形民俗文化財
    • 永代々神楽(那須神社) - 1961年(昭和36年)3月22日指定[20]。那須与一が京都から神職と雅楽の奏者を招き、奉納したのが始まりとされる、与一ゆかりの伝統芸能[21]。毎年3月第2日曜日に奉納される[22]。
    • 獅子舞(那須神社) - 1962年(昭和37年)6月22日指定[23]。起源は定かではないが、大関増清が白旗城を築城する際、地鎮として舞われたと伝わる[4]。毎年敬老の日(9月第3日曜日)に行われる例大祭において奉納される[22]。

主な行事

[編集]

周辺

[編集]

脚注

[編集]
  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 “由緒・歴史”. 那須神社. 2026年7月26日閲覧。
  2. 1 2 3 “国重文の那須神社 10年かけて補修へ”. 朝日新聞. 2021年1月20日. 2026年7月19日閲覧.
  3. 1 2 影山 2019, p. 166.
  4. 1 2 “那須神社”. 栃木県観光物産協会. 2026年8月1日閲覧。
  5. 1 2 3 栃木県神社庁 2006, p. 548.
  6. 1 2 3 “那須神社”. 大田原市観光協会. 2026年7月19日閲覧。
  7. 1 2 3 4 5 “那須神社(大田原) 国重文・江戸時代 武家の崇拝集めた古社 壮麗な彩色 重厚な楼門 とちぎの文化財⑮”. 下野新聞. 2025年7月8日. 2026年7月19日閲覧.
  8. 1 2 3 4 5 6 “那須神社”. 栃木県神社庁. 2026年7月19日閲覧。
  9. ↑ “14 金丸(かねまる)緑地環境保全地域”. 栃木県. 2026年7月19日閲覧。
  10. ↑ “那須神社 本殿 楼門 附銅棟札(本殿附) 石燈籠 手水舟 国指定重要文化財(建造物)”. 大田原市. 2026年7月19日閲覧。
  11. ↑ 那須神社(本殿) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  12. ↑ 那須神社(本殿) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  13. ↑ “おくのほそ道の風景地八幡宮(那須神社境内) 国指定名勝”. 大田原市. 2026年7月19日閲覧。
  14. ↑ “銅製鰐口 文和 県指定有形文化財(工芸品)”. 大田原市. 2026年7月19日閲覧。
  15. ↑ “銅製鰐口 天正 県指定有形文化財(工芸品)”. 大田原市. 2026年7月19日閲覧。
  16. ↑ “太刀 伝弘綱 県指定有形文化財(工芸品)”. 大田原市. 2026年7月19日閲覧。
  17. ↑ “与一ゆかりの太刀を公開します 【那須与一伝承館】”. 大田原市. 2026年8月1日閲覧。
  18. ↑ “太刀 銘 一 県指定有形文化財(工芸品)”. 大田原市. 2026年8月1日閲覧。
  19. ↑ “甲冑(紺糸威) 市指定有形文化財(工芸品)”. 大田原市. 2026年7月19日閲覧。
  20. ↑ “永代々神楽(那須神社) 市指定無形民俗文化財”. 大田原市. 2026年7月19日閲覧。
  21. ↑ “重文・那須神社の「永代々神楽」 与一ゆかりの面、修復開始 栃木”. 産経新聞. 2014年9月13日. 2026年8月1日閲覧.
  22. 1 2 “祭礼”. 那須神社. 2026年7月26日閲覧。
  23. ↑ “獅子舞(那須神社) 市指定無形民俗文化財”. 大田原市. 2026年7月19日閲覧。
  24. ↑ “那須神社例大祭”. 栃木県観光物産協会. 2026年7月26日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 栃木県神社庁『栃木県神社誌 - 神乃森 人の道』2006年7月12日。 
  • 影山博『栃木県神社の歴史と実像』随想社、2019年6月23日。ISBN 978-4-88748-368-2。 

外部リンク

[編集]