轆轤
轆轤(ろくろ)は、陶芸や木工に用いられる器械。轆䡎(䡎は車偏に戸)とも書く。
轆轤は回転可能な円形の台で、回転軸は台に直交し円の中心を通る。その上に粘土をのせ、台を回しながら粘土に手指を当てると、回転の中心から手指の位置までを半径にしたきれいな円を形作ることができる。それを重ねると回転体が成型できる。回転方向は、右回転と左回転がある。日本の陶芸用轆轤では、日本古来からの陶芸産地はほとんど右回転で、朝鮮半島から伝来した有田焼・萩焼などでも右回転である。一方、丹波立杭焼や九州の上野焼・小石原焼などでは左回転が用いられている。
歴史
轆轤がいつ発明されたかははっきりしておらず、紀元前6000年前から紀元前2400年前の間に発明されたとされている。メソポタミアで発明されたという説が有力であるが、エジプトと中国もその発明を主張している。轆轤は青銅器時代に広く使用されるようになった。初期の轆轤は手や足で直接、轆轤を回転させながら壺や食器を形作った。
後にはずみ車が発明され、これと連結することで安定した回転を得ることができるようになった。はずみ車は重く、動かすのに力が要る。しかしひとたび回転に勢いがつくと、自身の重さのせいで小さな力では減速しなくなり、一定の回転速度が保たれる。
鉄器時代に、回転台を軸棒ではずみ車を兼ねる重い円盤につなぎ、足で下の円盤を蹴り回転を与える轆轤が広まった。それまでの轆轤では手で直接回転台を回していたが、この型の轆轤では手で回転させる必要がなく、自由に両手を使うことができるようになった。
轆轤は新大陸では発明されることがなく、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達し、ヨーロッパから轆轤がもたらされるまでは、陶器は手のみで作られていた。
産業革命が始まると轆轤は、蒸気機関やガソリンエンジン、そして電気で動かされるようになったが、人力で動作するものも依然として使用されている。それ以前にも一般的ではなかったが、風力や水力を動力とする轆轤も発明されていた。人力で動かす必要がなくなったとはいえ、轆轤を使い陶器を作るのは未だに熟練を要する作業であり、職人芸と言える。
轆轤は車との関係も深い、人類にとって古来最も重要な技術の一つである。また近代工業の核心の一つ、旋盤は轆轤の発展と言える。
2012年3月、web業界人がインタビュー時にとったポーズが「ろくろ」を回す姿に酷似しているとネット上で話題となり、「エアーろくろ」などと呼ばれるようになった。また、この「エアーろくろ」をきっかけに陶芸を始めるケースなどがレポートされ、密かなブームとなっている。
伝承
エジプト神話では、クヌム神 (Chnum) は最初の人を轆轤の上で作ったとされている。
轆轤の種類
参考文献
- 加藤唐九郎編『原色陶器大辞典』淡交社、1986年。ISBN 4-473-00090-7。
- 陶工房編集部編『陶工房 No.44』誠文堂新光社、2007年。ISBN 978-4-416-80715-6。
関連項目
外部リンク
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