豊沢団平
ナビゲーションに移動
検索に移動
豊沢 団平(とよざわ だんぺい)は、文楽義太夫節三味線方の名跡。正式な旧字体は豐澤團平。
初代[編集]
2代目豊沢広助の幼名。
2代目[編集]
(文政11年(1828年) - 明治31年(1898年)4月1日)本名は加古仁兵衛。
播磨国加古川(現在の兵庫県)の生まれ、竹本千賀太夫の養子。1839年に3代目豊沢広助の門弟で豊沢力松、丑之助を経て、1844年2代目広助の幼名を相続し2代目団平となった。
3代目竹本長門太夫を皮切りに5代目竹本春太夫、2代目竹本越路太夫(後の竹本摂津大掾)3代目竹本大隅太夫等の相三味線を勤める。
1898年4月舞台中に脳溢血で死去。
主な作曲に「壺坂観音霊験記」「良弁杉由来」等を作曲。
通称「清水町の師匠」、「名人団平」。
溝口健二監督の映画『浪花女』、有吉佐和子の小説『一の糸』は、2代目豊沢団平をモデルとしている[1]。
3代目[編集]
(安政5年7月5日(1858年8月13日) - 大正10年(1921年)5月5日)本名は植畑九市。
大坂の生まれ、2代目の門弟で九市、源吉、4代目豊沢仙左衛門を経て1907年に3代目団平を襲名。3代目竹本大隅太夫の相三味線で活躍。文楽座に出ることが少なかった。
通称「仙左衛門団平」。
脚注[編集]
- ^ 第5回 「豊澤團平の生誕地」 ( 加古川市加古川町寺家町) 「ほっとかこがわ」財団法人加古川市コミュニティ協会