竹本組太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹本 組太夫(たけもと くみたゆう)は、義太夫節の太夫。

代々以外に5代目竹本津賀太夫が組太夫を名乗る。

初代[編集]

(生年不詳 - 宝暦9年閏7月12日1759年9月3日))

初代竹本政太夫(のちの初代竹本播磨少掾)の門弟。1753年竹本座が初舞台。悪声だったという。

通称「利助組太夫」。

2代目[編集]

生没年不詳

豊竹岡太夫の門弟の八十太夫が1799年に2代目組太夫を襲名。

通称「靱組太夫」。

3代目[編集]

(生没年不詳)

文字太夫から組太夫となった。

通称「江戸組太夫」。

4代目[編集]

後の2代目竹本相生太夫

5代目[編集]

弘化4年(1847年) - 明治38年(1905年7月25日)本名は片岡藤七。

京都の豆腐屋出身。5代目竹本春太夫、6代目春太夫(2代目竹本摂津大掾)に師事。1875年文楽座1884年より彦六座に出演。1890年には櫓下。「熊谷浦屋」「太十」等得意ネタは多かった。