谷大二

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マルセリーノ 谷 大二
Marcellino Daiji Tani
カトリックさいたま司教
教会 カトリック教会
司教区 さいたま
着座 2000年9月15日
離任 2013年7月27日
聖職
司祭叙階 1986年3月21日
司教叙階 2000年9月15日
個人情報
出生 1953年2月13日
日本の旗 兵庫県宝塚市

谷 大二(たに だいじ、1953年2月13日 - )は、日本のカトリック教会司教で、カトリックさいたま教区の前教区長である。洗礼名は「マルセリーノ」。2013年7月27日にさいたま教区長を退任した。

経歴[編集]

1953年2月13日兵庫県宝塚市に生まれる。

1986年3月21日に司祭に叙階された。その後カトリック浦和教区(2003年にさいたま教区に改称)の浦和上尾川口館林各教会の主任司祭を歴任し、1993年から浦和教区事務局長を兼任。2000年5月10日教皇ヨハネ・パウロ2世からカトリック浦和教区司教に任命され[1]、同年9月15日に岡田武夫大司教の司式により、栃木県宇都宮市宇都宮海星女子学院中学校・高等学校体育館で司教叙階式が行われた。2013年7月27日、教区長の退任願が教皇フランシスコにより受理されてカトリックさいたま教区長を退任。岡田武夫・東京大司教が教区管理者に任命された[2]

教区長退任後は沖縄県に移り、2015年9月現在、カトリック那覇教区平和委員会を担当している[3]

思想と行動[編集]

谷司教は司教叙階式で 「異国でつらい労働に従事する寄留者たち。異なる文化、言葉のなかに定住しようと悪戦苦闘している移住者たち。家庭、社会、地域などで性差別に苦しむ女性たち。家庭、社会の痛みの犠牲者として虐待されている子どもたちや青少年。病気や神経の衰弱に苦しむ障害者たち。日本の社会の偏見である部落差別に苦しむ人々。〈金がすべて〉という価値観が支配する社会の歯車にされて苦しむ企業戦士たち。人生の意味、目標を求めてさまよい、孤独に悩んでいる多くの人々。私たちはこのような人々と共に歩む教会として成長していきたいと願っています」と抱負を語った。

2011年1月には英国聖公会で妻帯していたヨハネ・ステファノ加藤智司祭を、小教区の主任司祭とならないという条件のもとに自分の教区に受け入れ。同年2月11日に司祭叙階式を行なった[4]

福島第一原子力発電所事故後の2011年5月7日には、さいたま市のカトリック浦和教会(司教座聖堂)で、さいたま教区サポートセンター・カリタスさいたま・ロバの会(カトリック さいたま教区正義と平和協議会)主催による山下俊一の「本当に大丈夫? 放射能 放射能について学ぼう ~山下俊一先生に聞く~」と題する講演が開かれ[5]、谷は責任者として同名のパンフレットを6カ国語に翻訳して同教区から発行し、教区内や避難所等で配布された[6][7][8]

司教紋章[編集]

司教の紋章は五角形で、ペンテコステのイメージ。聖霊の導きに従って歩めるようにとの願いが込められている。ラテン語5つのことばと帯の中のことばは、司教のモットーである「清い心 で主を呼び求める人々とともに、正義と信仰と希望と愛と平和を追い求めなさい」(二テモテ2・22)というパウロの勧めの言葉が配されている[9]

著作[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「4教区(仙台、浦和、東京、大分)に新司教」
  2. ^ 【速報】さいたま教区の谷司教、退任 2013年7月28日 カトリック新聞オンライン
  3. ^ 2015年度9月期司祭人事異動 カトリック那覇教区
  4. ^ Catholic Church in Japan welcomes its first conversion of an Anglican priest
  5. ^ 「放射能」について学ぼう・サポートセンター講演会”. カトリックさいたま教区. 2012年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月11日閲覧。
  6. ^ 福音宣教 2011年7月号 放射性物質の遺伝子への影響について さいたま教区助祭 矢吹貞人 36ページ
  7. ^ 本当に大丈夫? 放射能 放射能について学ぼう ~山下俊一先生に聞く~ カトリックさいたま教区サポートセンター 2011年5月30日発行
  8. ^ カトリックさいたま教区サポートセンター ~これまでの活動のまとめ~ 2011 年9月1 日 カトリックさいたま教区サポートセンター センター長補佐 矢吹貞人 斉藤紳二 (PDF)
  9. ^ カトリックさいたま教区 司教メッセージ[リンク切れ]

外部リンク[編集]