荒川重世

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荒川重世
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄9年(1566年
死没 元和6年5月8日1620年6月8日
改名 竹(幼名)→義宗→重世
別名 長兵衛
戒名 了英
墓所 神奈川県横浜市保寿院
幕府 江戸幕府 旗本
主君 織田信雄徳川家康秀忠
氏族 荒川氏
父母 父:荒川重詮
中山氏
重勝重政重照重頼長田忠次室、
川勝長氏正室

荒川 重世(あらかわ しげよ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将旗本

生涯[編集]

荒川氏足利氏の支流である渋川氏の一族で、松平氏、次いで織田氏に仕えていた。

永禄9年(1566年)、佐久間信盛の家臣・荒川重詮の子として誕生。

幼時より織田信雄に仕え、尾張国井口に所領を有していた。後に徳川家康に仕え、天正19年(1591年武蔵国都筑橘樹郡に400石を与えられる。慶長4年(1599年)からは家康の子・秀忠に仕えて大番頭となり、所領も上総国武射郡下総国印旛郡・同国香取郡内に200石を加増された。慶長14年(1609年伏見城城番となり、また武蔵国足立郡に250石を与えられ、総知行850石となる。慶長19年(1614年大坂冬の陣の際には伏見守備を命じられ、大和国の倉廩検視などを行った。

出典[編集]