羽生未来
羽生 未来 はにゅう みく | |
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出生名 | 羽生未来 |
別名 | みくおねえさん |
生誕 |
1974年7月14日![]() |
死没 |
2005年2月22日(30歳没)![]() |
学歴 | 国際基督教大学 |
職業 |
歌手 タレント |
活動期間 | 1995年 - 2005年 |
事務所 | ムーブマン(2002年 - 2005年) |
羽生 未来(はにゅう みく、1974年(昭和49年)7月14日 - 2005年(平成17年)2月22日)は、日本のタレント、歌手。東京都新宿区出身。
人物[編集]
家族は東京都新宿区に居住していたが、父の仕事の関係で3歳からフィリピン、アメリカ合衆国のニュージャージー州などで13年間過ごした。その経験を活かし、国際基督教大学在学中の1995年、NHK教育テレビジョンの番組 『英語であそぼ』(後の『えいごであそぼ』)で3代目のお姉さん・ミクお姉さんとしてレギュラー出演し、芸能界デビューした[1][2]。
さらに、『CNNヘッドライン』(テレビ朝日)や、『真夜中の王国』(NHK衛星第2テレビジョン)の司会を務めたほか、『けんたろうとミクのワイワイキッズ』シリーズ(CS・キッズステーション)でもレギュラー出演した。1999年、『GO AHEAD!』で歌手デビューを果たす。[3][1]。
2002年9月25日、マウイ島から帰国後、脳腫瘍と診断を受けて即入院。手術とリハビリによって、2003年7月11日には一時退院。2002年9月から治療のため休養していたレギュラー番組のワイワイキッズへの出演を不定期ながらも再開し、2004年5月からはワイワイキッズの後番組モンすたージオにて、メンバーだったAnnaのポケットの中に住んでいて、日本語から英語に翻訳するピンク色のキャラクター、ピンクミクの声を担当、徐々にではあるがタレントとしての活動も再開した。しかし2005年1月27日には肺癌と診断され再入院し、同年2月22日午後9時30分、東京都中央区の病院で逝去。30歳没[1][3]。その墓には2004年に亡くなった父と2012年に亡くなった母と一緒に眠っている[4]。
音楽[編集]
シングル[編集]
- 英語であそぼ(1995年)
- GO AHEAD!(1999年)
アルバム[編集]
- 英語であそぼ(1995年)
- みくおねえさんとうたってあそぼう!よいこのあそびうた(1998年)
- みくおねえさんとうたってあそぼう!「よいこのあそびうた たのしいクリスマス」(1998年)
- みくおねえさんとワイワイキッズ〜みくちゃんとうたっておどろう(1999年)
- けんたろうとミクのワイワイキッズ ミクちゃんと英語でうたおう ワイワイソング!(2000年)
- けんたろうとミクのワイワイキッズ ミクちゃんと英語でうたおう ワイワイソング!2(2000年)
- けんたろうとミクのワイワイキッズ ミクちゃんと英語でうたおう ワイワイソング!3(2001年)
- えいごであそぼ(2005年)
- 羽生未来メモリアルアルバム FUN DAY!(2005年)
- えいごであそぼ(2006年)
- えいごであそぼ(2008年)
出演[編集]
テレビ番組[編集]
- 英語であそぼ(1995年 - 1998年、NHK教育テレビ)
- CNNヘッドライン(テレビ朝日)司会
- NBA MANIA(2001年、TBSテレビ)
- 真夜中の王国(NHK衛星第2テレビ)司会
- 新・真夜中の王国(NHK衛星第2テレビ)司会
- けんたろうとミクのワイワイキッズ(1999年4月5日 - 2004年4月2日 CS・キッズステーションなど)
- みんなの広場だ!わんパーク(2000年4月8日 - 2003年4月6日、NHK教育テレビ)
- モンすたージオ(2004年度 キッズステーション)ピンクミク役(声)
- シネマスキッパー(WOWOW)
ラジオ[編集]
- MUSIC@JUNCTION(bayfm、Kiss-FM KOBE)
オリジナルビデオ[編集]
- こどもちゃれんじ・ほっぷ(ベネッセコーポレーション)
脚注[編集]
- ^ a b c “「英語であそぼ」羽生未来さん“幸せ”目前の悲劇 婚約後に…”. ZAKZAK. (2005年2月25日) 2013年7月29日閲覧。
- ^ “NHK「英語であそぼ」お姉さんが肺がんで死去”. ZAKZAK. (2005年2月25日) 2015年5月5日閲覧。
- ^ a b “羽生未来さん(タレント)が肺がんのため死去”. 日刊スポーツ 2015年5月5日閲覧。
- ^ https://お墓ネット.com/wp-content/uploads/2017/02/710136.jpg