紀元前621年

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紀元前621年(きげんぜん621ねん)は、西暦ローマ暦)による年。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元133年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前621年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

中国[編集]

  • の五軍のうち二軍を廃止した。狐射姑を中軍の将とし、趙盾を中軍の佐としたが、陽処父が両者の地位を入れ替えた。
  • 晋の趙盾が執政をはじめた。
  • 晋の襄公が死去したため、趙盾は公子雍を国君に迎えようとした。
  • 晋の狐射姑がその弟の狐鞫居に命じて陽処父を殺害させた。狐鞫居は殺され、狐射姑は狄に亡命した。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]