第40独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)

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第40独立親衛海軍歩兵旅団
創設 1918年9月22日
所属政体 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシアの旗 ロシア
所属組織 ロシア海軍
部隊編制単位 旅団
兵科 海軍歩兵
兵種/任務/特性 水陸両用作戦
人員 3,000人[1]
所在地 カムチャツカ地方ペトロパブロフスク・カムチャツキー
愛称 クラスノダール
ハルビン
上級単位 太平洋艦隊
主な戦歴 ロシア内戦
張鼓峰事件
第二次世界大戦
ロシアのウクライナ侵攻
現司令官 ドミトリー・ペトゥフ大佐
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第40独立親衛海軍歩兵旅団(だい40どくりつしんえいかいぐんほへいりょだん、ロシア語: 40-я отдельная гвардейская бригада морской пехоты)は、ロシア海軍旅団太平洋艦隊隷下。

概要[編集]

ロシア内戦[編集]

ヴァシリー・チャパエフ師団長

1918年9月22日、ロシア内戦の影響に伴い、赤軍第2ニコラエフ狙撃師団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で創設された。

1918年4月、ロシア内戦に投入され、白軍に勝利し、赤旗勲章、名誉称号「クラスノダール」を授与された[2]。戦時中にニコラエフ狙撃師団第30狙撃師団第22狙撃師団と改称された。

1938年7月、張鼓峰事件に投入され、日本軍と交戦したが2週間ほどで停戦した[2]

第二次世界大戦[編集]

1945年8月、ソ連対日参戦に投入され、関東軍を壊滅してシベリア送りにし、名誉称号「ハルビン」を授与された[2]

冷戦[編集]

1957年5月、機械化に伴い、第22自動車化狙撃師団に改編された[3]

ロシア陸軍[編集]

1992年12月26日、ソビエト連邦の崩壊ロシア連邦の独立に伴い、創設されたロシア陸軍に編入した。

2002年1月、部隊縮小に伴い、第40独立自動車化狙撃旅団に改編された[3]

ロシア海軍[編集]

2007年8月、ロシア海軍に編入し、太平洋艦隊隷下に配属され、第40独立海軍歩兵旅団に改編された[3][4]

2009年12月、部隊縮小に伴い、第3独立海軍歩兵連隊に改編され、2013年に部隊増強に伴い、第40独立海軍歩兵旅団に改編された。

ロシアのウクライナ侵攻[編集]

北部・キーウ戦線[編集]

2022年2月25日、ロシアのウクライナ侵攻では、北部キーウ州ブチャ地区で攻勢を開始し、ホストメリで撃退された[4]

東部・セベロドネツク戦線[編集]

2022年3月中旬、東部ルハーンシク州セヴェロドネツィク地区に再配置され、ワグネル・グループと合同で攻勢を開始し、5月上旬にポパスナを占領した[4]

東部・南ドネツク戦線[編集]

2022年10月上旬、東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ地区に再配置され、第155独立親衛海軍歩兵旅団と合同で攻勢を開始し[1][4]、パウリウカ(ヴフレダール・フロマーダ)を占領したが、大損害を出してヴフレダールで撃退された[5]。2023年6月上旬にはウクライナ軍が攻勢を開始し、ウロジャイネ(ヴェリカ・ノヴォシルカ・フロマーダ)を解放されてノヴォドネツケ(スタロムリニウカ・フロマーダ)で防御した[6][7]

2023年7月20日、ウラジーミル・プーチン大統領から、名誉称号「親衛隊」を授与された[4]

東部・アウディーイウカ戦線[編集]

2023年12月、東部ドネツィク州ポクロウシク地区に再配置され、ノヴォ・ミハイリウカ(マリンカ・フロマーダ)で攻勢を開始した[8]

編制[編集]

  • 旅団司令部(ペトロパブロフスク・カムチャツキー
  • 第211独立海軍歩兵大隊
  • 第26独立空中強襲大隊
  • 戦車中隊
  • 火力支援中隊
  • 狙撃中隊
  • 旅団砲兵群
    • 本部小隊
    • 自走砲大隊
    • ロケット砲中隊
    • 対戦車砲中隊
  • 防空大隊
  • 偵察大隊
  • 兵站大隊
  • 工兵中隊
  • 整備中隊
  • 電子戦中隊
  • 通信中隊
  • 衛生中隊
  • NBC防護小隊
  • 揚陸艦中隊
  • 脚注[編集]